漂泊者たち2/アンダーグラウンドの片隅から

フォルツァ総曲輪 
富山県富山市総曲輪3丁目3-6

2012年7月13日(金曜)19:00から、4階 -14日(土 曜)15:00から、3階

入場料:無料

出演者:Mongkol Plienbangchang(タイ)、Aor Nopawan(タイ)、陳光/Chen Guang(北京) 、Lee Wen(シンガポール)、Arahmaiani(インドネシア)、 Chan Mei Tung(香港)、白井廣美(神戸)、西島一洋(名古屋)、さとう三千魚(東京)、荒井真一(富山)
日時:2012年7月13日(金)午後7時開演、14日(土)午後3 時 開演
場所:フォルツァ総曲輪 富山市総曲輪3丁目3-6 4+3F 076-493-8815
後援:
フデ子ー久男基金
協力:
小倉利丸、棚元裕重子、佐伯龍蔵、お助け基金‐富山、棚元画廊、AIARA
問い合わせ:
076-431-3256 araiart(at)gmail.com (at)を@に変えてください(荒井)
入場料
:無料

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パフォーマンス・アー トとは何なのでしょうか?
7月13日(金)と14日(土)にフォルツァ総曲輪で行われる「漂泊者たち2/アンダーグラウンドの片隅から」について
                       荒井真一

●わたしは昭和34年、富山市に生まれ、中部高校美術部にいました。その後都立大人文学部中国文学専攻に在籍中、失恋の痛手から立ち直るため、画塾?「美学校」で故吉田克朗氏から銅版画と現代美術を学びました。そのころからパフォーマンス・アートを始め、現在はパフォーマンス・アートのみをやっています(生業はフリーの校正屋ですが)。
●さてパフォーマンス・アートとは何なのか? わたしにとっては「鍛錬されていない肉体(身体)を使用して、表現する行為芸術」だということです。重要なのは「鍛錬されていない肉体(身体)」という部分です。ですからわたしは(暗 黒)舞踏やノイズ・ミュージックなどをパフォーマンス・アートとは考えていません。
●たとえば小野洋子(オノ・ヨーコ)の60年代の音楽作品に「Cut Piece」という作品があります。これは彼女が舞台に座り、観客が用意してあるはさみで彼女の衣服を自由に切っていくという作品です。この作品は音楽作品!として発表されましたが、わたしはパフォーマンス・アートだと思っています。

YOKO ONO CUT PIECE 投稿者 TECHNOLOGOS
●彼女は観客に自分の身体を提示していますが、彼女の肉体は鍛錬されていません。逆にいえば、彼女の座るという 行為自体は誰もができることで、特別なことではありません。しかし全体を見て日常的かというとそうではない、おかしな行為です。はさみで切るという観客の行為は日常的ですが、他人が着ている衣服を切るのは非日常的で、相手の肉体を傷つける可能性もあります。
●これがなぜ音楽作品であるのか? それは、はさみを持つ観客が服を切る行為とはさみの音に敏感になっているし、他人が切っているときのはさみの音と行為にも集中しているからです。
●また舞台に投げ出された女性は抵抗もなく服を切られていく(彼女が意図しているにせよ)。最終的には裸にされてしまうこともありうる。今の言葉で言えば 「ジェンダー」の問題が露出しています。そこで観客は何を感じたのだろうか? 男性は、女性は、黒人は、白人は、黄色人は?
●(暗黒)舞踏はおどろおどろしいけれど、いい作品は、結局、美しく、観客に感動を与えます。しかし、小野洋子の作品は、ほとんど無音、動作のない世界で、動いているのは観客であり、普通に考えれば退屈なショーでしょう。しか し、それは本当に退屈なショーでしょうか? 観客はどこをどう切るか考え(目立ちたい欲望もある)、同時にためらいもある。それは普段なら犯罪であるし、男性から見れば、売春宿にいるような心地にもなってくるからです。そこには感動とは違った、今までに経験したことのない観客の不可思議な体験が生じているのです。
●今回タイから2人(男女)、シンガポール(男)、香港(女)、北京(男)、インドネシア(女)から1人計6人のアジアのパフォーマンス・アーティストが富山に来ます。また日本からは3人(男2、女1)のパフォーマンス・アーティストと 1人の詩人(男)が参加します。わたしはここ富山
06年「大東亜共栄軒」http://www.araiart.jp/daitoua.html
08年「小東亜共栄軒」http://www.araiart.jp/08toua.html
12年1月「漂泊者たち/アンダーグラウンドの片隅から」http://www.araiart.jp/hyouhakusya.html
と、これまでに3回こういう国際的なパフォーマンス・フェスティバルを開いてきました。しかしパフォーマンス・アートは現在地味なアート分野で、国内では、あまり注目されることがありません。そのためパフォーマンス・アートのおもしろさを知ら ない人が多い。ぜひ、この富山でパフォーマンス・アートをご堪能ください(入場無料です!)。


出演者

白井廣美
(1964ー)
92年1年間の語学留学の予定で渡英し、イギリス・カーディフ市に住む。街のアートワークショップに参加したことがきっかけで、アーティストになろうと決 意。ウエールズ大学美術学部へ進学する。進学後パフォーマンスアートに興味を持ちパフォーマンスを始める。97年帰国し、神戸を中心に活動する。観客を自 然に巻き込む簡単な繰り返しの行動(お辞儀等)で独特で洒脱な世界をつくりだす。
http://www.araiart.jp/AoE72909.html


Mongkol Plienbangchang
(1965-)
バンコクではパフォーマンスが盛んで年一回「ASIATOPIA」という盛大な国際フェスティバルが開かれているが、Mongkol(モンコー)はその中心メンバー。タイの学生運動は日本でも有名であるが、アーティストも社会に積極的にコミットしている。モンコーもアメリカの国旗にブタの血をか け、そこに自分の小便をぶっかけたり直接的にアメリカの引き起こす戦争を批判するパフォーマンスをやっていた。しかし近年はとても内省的に戦争と暴力を考 える作品になった。また、妻(Aor Nopawan)、兄、兄嫁そして友人と組織している「U-Kabat(タイ語で隕石)」というユニットで、コレクティブパフォーマンスを行っている (2002年光州ビエンナーレに参加)。06年「大東亜共栄軒」で富山に来ている。
http://www.araiart.jp/201010081.html

Aor Nopawan(1968-)
Aor(オー)は仲間たちと貧しい山岳少数民族の女性たちとアートのワークショップを行ったり、バンコクの性サービスをする女性たちにAIDS教育や英語を教えたりしている(外国人のクライアントから暴力や、料金の踏み倒 しを受けないため)。また「ASIATOPIA」の中心メンバー。07年より「MiniMoves; Blur Borders」というパフォーマンスアートの交流展を企画している。ポーランド、ドイツ、韓国、日本、ビルマ、シンガポール、オーストラリア、フィリピ ン、インドネシアなどでパフォーマンスを行う。
http://www.araiart.jp/8o204.html


Arahmaiani(1961-)
Arahmaiani(ヤー二)は2000年にジャカルタでインドネ シア初の大規模な国際パフォーマンスフェスティバルを企画した。03年ベニス・ビエンナーレのインドネシア代表。そのときのインスタレーションのタイトル は「11 June 2002」 。彼女がカナダでの展覧会に行くため、USAの空港に1日トランジットする際に彼女はイスラム圏から来たというだけでパスポートを取り上げられ、トランジットで利用するホテルの部屋で男性警官に監視された。そのときのドキュメントをインスタレーションにしたもの。ジェンダー、宗教(イスラム教)、政治をえぐるパフォーマンスを行う。現在は中国、青海省西寧市でチベットについてのプロジェクトを遂行中。06年「大東亜共栄軒」で富山に来ている。
http://universes-in-universe.org/eng/nafas/articles/2003/arahmaiani

Chan Mei Tung(1990-)
Tun(トン)は90年代世代。大学で人文科学を学んでいる。 2009年にパフォーマンスを始める。11年ドイツを中心としたパフォーマンスアートツアー「Art of Encountering IV」に参加。自分を表現し明確にさせるパフォーマンスアートに強くひかれている。大学でもパフォーマンスを企画している。反核のイベントや、香港での 「Occupy Wall Street」にもパフォーマンスで参加。大学では強制的な英語使用や、政治的な検閲に反対する運動をしている。1月の「漂泊者たち」に出演した陳式森の 友人。
http://www.facebook.com/chanmetung

陳光/Chen Guang (1972-)
陳光(チェン・グゥアン)は中国で80年代後期「死体派」と呼ばれ る、中国ではそのころ手に入れやすかった切断された腕など(病院から闇で入手できた)を使ったインスタレーションをするグループの近辺にいたと思う。 2000年8月の第1回Open
Artフェスティバルではハエがたかっている生の臓物を日中、30分近く食べ続けた。陳光は同時代のアーティストとは違い、64天安門では、学生を攻撃す る軍隊の側にいた。彼は貧しく、中国(解放)軍の美術学校で学んでいたのだ。08年彼は社会主義リアリズムの手法で、彼から見た天安門の絵を描き始めた。 それらの作品は国内のギャラリーでは取り扱ってくれない(彼のほかの作品は取り扱っても)ためインターネットで公開したが、すぐにそのサイトは閉鎖され た。
http://www.nytimes.com/2009/06/04/world/asia/04soldier.html?_r=2

Lee Wen(1957-)
Lee Wen(リー・ウェン)はシンガポールと妻子のいる日本を行き来しつつ、世界各地でパフォーマンス、インスタレーションを展開している。1999年以降はブラックマーケット(ドイツを中心とするパフォーマンス集 団)のアジア人では唯一のメンバーとしても活動している。リー・ウェンのパフォーマンスおよびインスタレーションは、しばしば個人や社会システムにおける イデオロギーや価値体系を暴き出し、疑問を投げかける。彼は80年代後半、サラリーマン生活を経て比較的遅く美術を始めた。05年にはシンガポールの文化勲章を受章した。
http://www.araiart.jp/10o306.html

さとう三千魚(1958-)
詩人、詩集に「サハラ、揺れる竹林」一風堂、「ぼくの恋は、ミドリ」新風舎、「マイルドセブン その他」沖積舎、共著に「魔法の鏡のなかへ(ロックオリジ ナル訳詞集)」思潮社がある。
「ぼくは、ある意味では、自分の平凡さ、といったものを発見したのかもしれない。ぼくは自分が平凡な人間にすぎないことに気づいた。…ぼくらに与えられた 平凡さの徹底から、ぼくらの日常の文脈を外れることができるかもしれない。『マイルド・セブン』という物質の持っている平凡さは、名前を持った平凡さであ り、そうでありながら、特異な平凡さを体現する可能性も、在ると思う。」(「マイルド・セブン その他」あとがきより)
http://www.araiart.jp/satou.html#anchor884901

荒井真一(1959-)
文学部在学中、美学校で現代美術(と銅版画)に出会う。美学校の同級生と「赤木電気」を結成、日比谷野音の「天国注射の昼」に出演。92年より2年間青年海外協力隊員としてタンザニア・ザンジバル島で木版画と現代美術を現地のアーティストに教える。帰国後銅版画を断念。パフォーマンスに専念(「現場の力」 として)。99年よりソロでパフォーマンスを行う。12年1月「漂泊者たち/アンダーグラウンドの片隅から」を企画。
http://www.araiart.jp/

西島一洋(1952-)
16歳で絵描きであると宣言する。70年代よりハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為を断続的に行う。80年代友人とミニコミ「裸眼」でゼロ 次元など地元名古屋の現代美術を掘り下げる。88年には「体現」と名付け体現集団φアエッタを創始、個人または集団で活動を続けている。「体現」は開かれ た表現の領域としてのパフォーマンスアートとは一線を画しており、むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。

http://www.araiart.jp/0805027.html




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荒井真一 (web master/shinichiarai@hotmail.com)