小東亜共栄軒08
2008年5月3日(土・祝)
名古屋


舒陽(シュー・ヤン/中国)

"赤いオリンピック"


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私は89年6月4日(天安門事件)以降どうやってきたのか?
(Where have I been after 4th June 1989?)
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舒陽(シュー・ヤン)
"赤いオリンピック"


1969年生。男性。画家、評論家、編集者、役者でもある。2000年の「OPEN Art Festival」では、オーガナイザーとして逮捕される。中国初の現代美術雑誌『新潮』(2000-01年。01年政府のオーナーへの圧力で廃刊)副編集長(編集長は70年代以降中国の現代美術を支えてきた美術評論家・栗"ウかんむりに先"庭[リー・シャンテイン])。2001年以降黄鋭(ファン・ルイ)を助けて北京798アートスペース*の立ち上げにかかわる。2002年NIPAF参加。役者としては、2003年東京の「ハイナー・ミュラー」フェスティバルに「紙老虎(Paper Tiger Studio)」グループの一員として来日。2003年以降「DaDao Festival」を毎年開催。中国のアンダーグラウンドのパフォーマンス、およびドキュメント(写真)を積極的に国外に紹介している。2006年国際交流基金「美麗新世界:当代日本視覚文化」中国側コーディネーター。

*北京798アートスペース(798は地番)は、今やニューヨークのソーホーよりも面白く、お金が動いていると言われる画廊街である。2000年ごろほぼ20年ぶりに北京に帰ることができた黄鋭が、旧国営工場の一角にスタジオを構えたのがそのきっかけ。旧国営工場は50年代に建国記念として東独政府が建設したバウハウススタイルの建物群からなっている。国営工場がつぶれ、安くバラ貸しを始めたのを機に黄鋭がスタジオとして借り、内部をリフォームした。黄鋭の働きかけにより、徐々にアーティストのスタジオ、現代美術の画廊(たとえば東京画廊など)、レストランなどが移ってくる(天井が高く、サンルーフからの自然光はほかでは特に得がたい)。そして、彼はそれらの友人たちと共同で798を運営していった。しかし、近年大手のデベロッパーがこの区画全体の権利を手に入れたため、家賃が高騰し、建築群の改造等が何のプランもなしに行われ、以前からの住人の運営が無視されるようになった。黄鋭は1978年、北島、芒克ら文学者と「今天」という伝説的総合芸術雑誌を創刊。それを母体に先鋭的なパフォーマンス、朗読会、展覧会等を行う。それは文革(そして革命)以後初めてのアバンギャルド活動であった。しかし、80年初頭弾圧され多くの同人は外国に逃がれた(黄鋭は日本へ)。89年の6/4(天安門事件)以降は日本のパスポートを持った黄鋭でも帰国が難しかった。


Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Shu_Yang


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