荒井真一のパフォーマンス
1999年から2009年まで

at GRACE EXHIBITION SPACE

2009年5月5日-9日

荒井真一

1959年生。1982年美学校で吉田克朗から銅版画を学ぶかたわら、サエグサユキオ、久住卓也、ホシノマサハル、赤木能里子と「赤木電気」を結成、即興パンクおよびパフォーマンスを始める。83年「天国注射の昼」における「日比谷野音、赤ペンキぶちまかし事件-川俣軍司に捧ぐ」で、公園管理事務所から永久使用禁止を言い渡される。その後「大昭和発電」(桑原正彦、久住と)、「現場の力」(サエグサと)、「福福物語」(鈴木健雄、谷川まり、サエグサと)に参加。99年以降作品「Happy Japan!」などでソロ活動。韓国、フィンランド、インドネシア、台湾、中国、香港、ビルマ、カナダ、英国、米国、ドイツ、フィリピン、タイで公演。06年東アジア(フィリピン、中国、タイ、インドネシア、香港)の5作家を招き「大東亜共栄軒」を企画。


荒井真一(1959~)

1983 東京都立大学人文学部中国文学科卒
1981-84 美学校・吉田克朗銅版画工房
1985-87 同助手
1985-89 ミニコミ誌「仁王立ち倶楽部」主宰(現在・中断中)
1987 School of Visual Arts(NYC)のサマーセッションに参加
1990-91 武蔵野美術大学大学院造形研究科版画コース中途退学
1992-1994 タンザニア・ザンジバルニュンバ・ヤ・サナー」美術学校で専任講師(青年海外協力隊)


パフォーマンス
1982年「音・声・言葉」東京都立大学
1983年「天国注射の昼」(赤木電気、+サエグサユキオ+星野正治+久住卓也+赤木能里子)東京・日比谷野外音楽堂
1984年「ぴくぴくとふるえる」(+田中トシ)横浜・関内埠頭
1986年「慶應大学地下室のために」(クロイッフェルト・ヤコブ、+桑原正彦+谷川まり)三田・慶應大学
1987年「A-Mikeの地下室のために」(現場の力、+サエグサユキオ)ニューヨーク・A-Mike
1988年「夏の花、広島、死にゆく昭和天皇」(+園田佐登志)東京・駒場東大学寮庭
1989年「昭和大躁/昭和大喪に抗して」(+園田佐登志)東京・早稲田奉仕園
1990年「かがやく魂」(+桑原+サエグサ+田中+谷中正典)中野・テルプシコール
1991年「漂泊者とその影」(現場の力、+サエグサ+谷川)大阪・キリンプラザ
1995年「敗戦50年」(現場の力、+サエグサ)大阪・ピース大阪
1996年「労働の夢、夢の労働」(福福物語、+鈴木健雄+サエグサ+谷川)富山・市民文化センター
1997-98年「部族紛争--多数派対少数派」
1998年10月「部族紛争--多数派対少数派」 ソウル・ソウル文芸会館(第9回韓日ダンスフェスティバル
1999年10月「Row Your Boat」(現場の力、+サエグサ)ニューヨーク・Japan Society
1999年11月「Happy Japan! Happy family!」東京・West Endスタジオ
1999年12月「日の丸の子供たち」(現場の力、+サエグサ)東京・Wenzスタジオ(第2回「透視的情動」
2000年 3月「Happy Japan!」ジャカルタ・Utan Kayu劇場、台北・Police Station小劇場
2000年 8月 「Happy Japan!」北京・陳進宅(第1回 Open Art Platform Performance Art Festival)
2001年 2月「Happy Japan!」他 ヘルシンキ・ケーブルファクトリー(EXIT festival)
2001年 8月 「Happy Japan!」他 四川省各地(第2回 Open Art Festival)
2002年
「Happy Japan!」他 香港、広州(陳式森による"Performance tour for 6/4 in Hong Kong and Guangzhou 2-18 June 2002")
"Tourist #5: For E. H. Norman" 7a*11d 4th International Festival of Performance Art in Toronto, Canada
"Tourist #6:YOU ARE NO GOOD" The 4th ASIATOPIA 2002 in Bangkok & Chiangmai, Thailand
2003
"Tourist #6:YOU ARE NO GOOD" Beijing-Tokyo art project Beijing, China
"Tourist #7:VIVA Globalism" PIPAF Manila, Philippine "Tourist #7:VIVA Globalism!--at ex-capital city of Manchukuo--"The 4th Open Art Festival in Changchun, China
2004
"I like Japan!" The International Performance Art Festival in Bandung, Indonesia "Tourist #7:VIVA! Globalisation--Azinomoto""Tourist #8:Jun-ichiro"Wed Action #4 in Jogjakarta, SOLO ACTiON! in Solo, Indonesia
"Tourist #7:VIVA! Globalisation--Azinomoto""Tourist #8:Jun-ichiro--Our prime miniter" 2nd DaDao Live Art festival in Beijing, China
"Tourist #9: International""Tourist #10: Thank you ,Joseph Beuys"The 5th Open Art Festival in Beijing, China
2005
"VIVA globalisation!--Washing audience feet" Performance Site :Myanmar 05 "Borders : withIn withOut" in Yangon, Myanmar
"Tourists #11 We Have Good Constitutions" 3rd DaDao Live Art Festival in Beijing, China
"Tourist #9 International", "VIVA! Globalisation--Azinomoto" June Art Action Live Art + Music in Hong Kong, China
"Happy Japan! --Memory for Tainan private middle school of Presbyterian Church in days of occupation by Japan" Reach Outlying_2005 TIPALive in Taipei, Taiwan
"Happy Japan! for Shu Yang" The 6th Open International Performance Art Festival in Chengdu, China
"Happy Japan! " The new world maps in Tokyo, Japan
"VIVA globalisation! "Artists in Action-the Power of the PowerLess!-in Hong Kong, China
2006
"YOU ARE NO GOOD -tourist #6-" FOI3: Future of Imagination 3 in Singapore "Tourist #8 International" Great East Asia Co-prosperity Restaurant in Tokyo
"We love Kiko - Mother of 3G Emperor" The 7th Open International Performance Art Festival in Beijing
"Viva! United States -for Herbert Norman" Viva! Art Action in Montreal, Canada
"Happy Japan! for Shu Yang" Birds Migration in Jakarta, Indonesia
2007
"Arigatou Joseph Beuys - Thank you Joseph Beuys" THE CAT SHOW Cardiff Art in Time International PRRR-formance Art in Cardiff, UK
"Arigatou Joseph Beuys - Thank you Joseph Beuys","Happy Japan!","Viva! Globalisation"Art of Encountering Issue II in Cologne,Essen,Dsseldorf,Hildesheim,Kassel and Hannover, Germany
"Viva! Globalisation for Ding Ling" June-Alliance in Beijing, China
"Viva! Globalisation for Ding Ling" The 8th Open International Performance Art Festival in Beijing,China
"Black Flag for Lobin" Memorial for Foo Lobin in Hong Kong, China
2008
"Happy Japan!","Viva! Globalisation" TutoK2talk in Manila, Philippine.
"Viva! Globalisation for TANAKA Mitsu (activist of 70's Women's Lib in Japan) ""Happy Japan! for Shu Yang" Small East Asia Co-prosperity Restaurant 08 in Tokyo
"Happy Japan!","Viva! Globalisation" Bipaf festival in Buchon and Gimuchon, Korea
"Happy Japan!" VIVA! Asialization festival in Seoul , Korea
"Arigatou Joseph Beuys - Thank you Joseph Beuys" The 9th Open International Performance Art Festival in Beijing,China
"Viva! Invasion" Up-On festival in Chengdu, China
"Happy Japan! for Shu Yang" Vital08 festival in Chongqin, China
"Viva! Invasion" 10th Asiatopia festival in Bangkok, Thailand
2009
"Happy Japan!","Viva Globalization" Deverse Universe festival in Tartu and Parnu, Estonia

企画
2006 大東亜共栄軒 東京、富山
2008 小東亜共栄軒08 東京、名古屋、富山

●展評等:『美術手帖』83年10月号(田中幸人)、
同87年1月号(特集;ネオ=グラフィズムの王国)、
同89年7月号(特集;'90年代美術の予兆)、
『21世紀版画』90年12月号(特集;90年代注目のアーティストを問う)、
『図書新聞』2000年9月9日号(足立智美 http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/text/paf.html


*以下の文章は中国の美術雑誌月刊『新潮--NEXT WAVE』の求めに応じて書いたものです。

Happy Japan! 荒井真一

私(42歳)は8時30分に起き、8時50分に家(60000円/月=6m x 8m、電話代5000円/月、光熱水費10000円/月、1元=15円、100円=6.7元)を出る。自転車で10分、駅前の駐輪場(2500円/月)に とめる。切符(400円)を買い、中央線快速で中野に向かう。ラッシュアワーは過ぎているとはいえ、新聞を広げて読むことができないくらい混雑している。 20分して中野で地下鉄東西線に乗り換える。地下鉄は始発なので座ることができる。20分して今日の職場である出版社に着く。コンピュータ雑誌の誤字脱 字、内容をチェックする(20000円/日)。昼は近くの定食屋で刺身定食(800円)、煙草(250円)とお茶(120円)を買う。6時に仕事が終わ る。事務所に携帯電話をする(5000円/月)。明日は仕事がない。本屋で少し高いが前から欲しかった「コンセプチュアル・アート」(4400円)を買 う。葡萄舎という馴染みの飲み屋に行く。ワイン(2400円/ボトル)をとる。仕事上の不満、世間のパフォーマンスアートへの不理解を愚痴りながら泥酔す る。12時半、5000円を払い終電(450円)で1時間かけて帰る。終電は私のような酔っぱらいがいっぱいだ。当然座ることはできない。

私はアーティストだと言いながら、実は普通のサラリーマンのように満員電車に押し込まれて仕事に出かけ、金を得ているのだ。ただ、彼らと違うのは月に5日から20日と働く日数が不安定であり、それを自分自身でコントロールできない点だ。

私が「Happy Japan!」で着ている制服は海外青年協力隊の ものだ。海外青年協力隊は40歳までの男女を2年間いわゆる開発途上国に派遣し、日本語や自動車の修理、農業を教えたり、コンピュータシステムの構築など にかかわらせたりする、国家が後押しする組織だ。中国にも地方を中心に日本語教師、農業指導などの職種で多くの若者が派遣されている。私は1992年 -1994年東アフリカ、タンザニアの新設美術学校で版画を中心に美術を教えていた。この組織に参加するためには試験を受け、約3カ月の合宿訓練に参加し なければならなかった。私は仕事を手配する事務所や両親・友人に2年間タンザニアに行くことを告げ、自宅の借家を整理し友人に2年間住んでもらうことにし た。大家にもそのことを了承してもらった。つまりすでに日本を離れることを前提に合宿に参加していた。合宿が終わってから出発まで10日ほどしかなかった ためもあった。訓練の最後に協力隊の総裁である天皇に「拝謁」する行事があった。私は自分の考えをまげて他の隊員多数とともに天皇に「拝謁」した。「拝 謁」に参加することを拒否して、そのことが原因で海外青年協力隊に参加できなかった場合、法的に戦うことはできた。しかし、まったく別の原因(たとえば健 康や訓練中の態度)で参加させなくするという脅しを訓練所の教官たちから受けたからだ。つまり私は協力隊行きを断念することでこうむる、仕事に復帰できな い、友人に迷惑をかける、両親などに恥ずかしい、裁判は面倒だという気持ちを天皇に「拝謁」したくない気持ちよりも優先させたのだ。

私が「Happy Japan!」で口に詰め込んでいく小林よしのりの漫画「戦争論」は、発売されて2年以上たつが現在も若者を中心に100万部近くを売り上げている(小林 は現在問題になっている教科書を作る会の重要なメンバーでもある)。日本軍は朝鮮・韓国そして、東南アジアの女性たちに性的なサービスを行なわせるため、 無理やり引き連れていた(軍の言い方では従軍慰安婦)。彼女たちは日本軍の性的奴隷そのものだった。しかし、小林よしのりの漫画では、彼女たちはその行為 により報酬を得ていたのだから、ただの売春婦だった(つまり、日本軍は彼女たちに対して罪を犯していなかった)と主張するのだ。私はこの主張に彼女たちへ の共感を欠いた、とても冷たい自分勝手さを感じる。しかし自分はというと、現在の天皇を総裁とする海外青年協力隊という、日本文化を押しつける「平和な軍 隊」ともいわれる組織に参加し、タンザニアの酒場で日本円の強さを暗黙の了解にして、多くの女性たちに酒をおごり、ちやほやされ、いい気になっていたの だ。

私は小林よしのりに熱中する多くの若者たちが、歴史の事実をねじ曲げる保守・右翼論者たちに耳を傾けるのは、それが自発的であるだけに危険だと思っている。
しかし、これについても私自身が25年前に、まったく逆の形で経験したことだった。

その頃、高校で習う歴史に疑問を抱き、社会の矛盾に悩んでいた私は、羽仁五郎というマルクス主義歴史家の著作に影響を受けた。1975年頃は70年にピー クを迎えた日本の左翼的学生運動が衰弱していく過程にあったが、その中で羽仁は独自のマルクス主義歴史観で左翼的学生運動を鼓舞していた。その頃彼は学術 書よりも、その歴史観を展開した社会批評を多く著し、大学などでの講演活動を精力的に行なっていた。彼は「日本のいろいろな問題はすべて資本主義体制に原 因を持っている。それを解消するには社会主義、あるいは共産主義の社会に変革していかねばならない」そして「どんなにスターリンが多くの罪のない人々を粛 正したといっても、現在の日本よりもソ連のほうが住みやすい。また中国の文化大革命は民衆による政治への直接参加の実験であり、素晴らしい。ともかくどの ような点においても社会主義は資本主義よりも優れている」と繰り返し語っていた。私は、社会主義という考えに初めて接したために圧倒された。そしてどうし ようもない日本の現実と比べて、彼の語る社会主義国を夢のように思ったのだった。

そのため、その後長い間中国、ベトナム、カンボジア、ソ連、東欧諸国、北朝鮮などの社会主義国の、または関与した国際事件に対しての報道が資本主義国(西 側)の通信社によって行われている虚偽のものだと考えていた。たとえばカンボジアでのポルポト派の大虐殺も西側によって大げさに報道されていると漠然と考 えていた(つまり、社会主義の国ではそこまでひどいことをしないだろう。それは西側が社会主義を悪く見せるために行った報道なのだろうと考えていたのだ。 事実ベトナム戦争、キューバなどについては西側による虚偽の報道もあった)。そして社会主義国で行われていたことをいろいろな角度から考え、そこに住む民 衆がどういう気持ちで生きていたのかについて想像することすらしなかった。80年代の終わり、東欧諸国の革命が始まって、やっと社会主義と資本主義(左- 右あるいは東‐西)という構図を外して、民衆の立場、つまりもし自分がそこにいたらどうだろうという視点で考えられるようになってきた。

だから、私は小林よしのりを支持する若者たちに「君たちは保守派に騙されている。そういう考え方は日本国内の外国人には敵対し排除しようとし、国際関係に ついては日本の考え方を他国に押しつけ、お互いの立場を考え合うことを拒否することになり危険だ」と言っても簡単に聞き入れられないであろうことは、わ かっている。私自身がかつて新聞報道でさえも右派による虚偽の報道だと思っていたのだから。では、彼らとどう向き合えばいいのか? この状況に対してどう 発言できるのか? インターネットの掲示板で彼らと論争すべきか? 新聞や雑誌に私の意見を投稿すべきか? 彼らの動きに反対する市民運動に参加すべき か?

2000年12月20日朝のことだ、
「結論から言うと、今回中国人のビザは出ないということです。その理由は一切言えません。担当官の決定です。中国人には後日連絡が行くでしょう」と外務省 の係りは初めてはっきりと言った。電話の前で呆然とした。明日は彼らの来日というのに、とうとう最後通告を突きつけられたからだ。エアチケットはすでに送 り、中国の友達とともに毎日毎日ビザが下りるのを待っていたが、あまりに出ないので、ここ一週間毎日のように外務省に電話をかけていた。しかし、いつも はっきりしない返事だったのだ。

舒陽と陳進(中国唯一の国際パフォーマンスアートフェスティバル「Open Art Festival」の主催者)は私が実行委員のひとりであった2000年の12月23、24日のイベント「Perspective Emotion 3」(1998 年、1999年開催。向井千恵主宰)に参加するためにビザを申請していた。彼らがアーティストとしてのビザを取るためには、私たちの 「Perspective Emotion」がしっかりした団体であることを日本国に認めてもらう必要があり、今回は時間がなくその方法を採れなかった。そのため私が個人的に中国の 友人を呼ぶという形のビザにした。私は招聘保証人として

1.彼らの来日の目的と、その詳細な日程表、および来日中の保証人となることへの同意書
2.彼らとどういうことで知り合いになったかの経緯書
3.写真、手紙等友人関係を証明するもの
4.中国に行ったことがあるのならば、そのパスポートのコピー
5.課税証明書
6.住民票

以上の書類を舒陽と陳進を通して中国の日本大使館に提出しなければならなかった。
もちろん舒陽と陳進は彼らの必要書類を作成して提出した。5についていえば、わたしの課税証明書での所得は140万円ということだった。以前日本に中国の 友人を呼んだ友達は「荒井君、500万円が相場って話だよ」というので、外務省に確認した。額は関係ないが多いに越したことはないというニュアンスだっ た。そこで、サラリーマンの友達にも保証人になってもらい、彼の課税証明書もつけた。というのは「Perspective Emotion」の実行委員には私よりも多く税金を払っている者はいなかったのである。
なぜ、これだけの書類を用意してビザが取れないのか? 一週間の電話のやり取りで見えてきたことは、外務省は中国人にビザを出したくないということだっ た。これは中国だけでなく、ビザの申請に日本人側の招聘保証人を必要とする国すべてがそうなのである。少なくとも欧米人の来日には観光ビザであれば、日本 人側の招聘保証人など必要としない。係りの人間は事務的に「ビザの発行は今回難しそうだ」と言いながら、私が執拗に食い下がると「中国人が簡単に日本に来 日するようになると、どういうことになるか不安でしょう。それで、私たちも審査を厳しくしなくてはならないのです」と何回も言うのであった。しかし、これ ほど条件を厳しくしておいて、まだまだ「簡単に」来日できるというのだろうか? あるいは貧乏日本人は中国の友達を呼んではいけない、貧乏日本人は中国人 の不法入国の手伝いをするとでもいうのか?
陳進には、その3カ月後(2001年2月)フィンランド・ヘルシンキの「EXITフェスティバル」(Roi Vaara主宰)で会った。私が陳進に「フィンランドのビザは大変だった?」と聞くと「No problem」と笑っていた。

その後、2001年春外務省の機密費が問題となった。機密費は会計監査を受けないお金で、外務省の責任者がそれをいいことにして何年にもわたって何億円も の金を自由に使っていたというのである。彼の個人的な犯罪のように処理されたが、実際には政治家も絡んだ外務省の組織的犯罪ではないかといわれている。外 務省は日本より貧しい国の人々を犯罪者ではないかと恐れ、理由を開示せず、一方的にビザを発給しない。それを彼らは国益を守ることだと言っていたのだ。し かし、書類が完備して保証人もいる人々すべてにビザを発給したとしても、彼らの仲間が犯していた罪以上のことを、つまり国益を損なうようなことを、来日し た人々がやるとは思えない。むしろビザが発給されなかったことで、外国の友人との信頼関係がややこしくなり、日本を悪く思う人々(その多くが近隣諸国であ る)が増えることのほうが国益を損ねると思うのだ。

結局、私はパフォーマンスを続ける。観客はいつも少ない。しかし、こうやって豊かで、民主主義が成熟し、表現の自由があるといわれる日本で、ただ、こう叫ぶしかないのである。
「Happy Japan! Happy Japan!」と。


社会的緊張:荒井真一
創造性と卑しいナショナリズム
ベレニス・アングレミー(福住治夫訳)
("Art AsiaPacific"誌2004年春号, No.40)

荒井真一は,れっきとしたパフォーマンス・アーティストとして,1980年代から世界中,とりわけアジアや西ヨーロッパで活動している。彼のパフォーマンスは直接的で明快,あからさまだ。おそらく最初見たときには,あからさますぎると感じることだろう。

1950,60年代の大阪の「具体」運動や東京の「ネオ・ダダ・オーガナイザーズ」になじんだ,戦後の政治的志向をもつ前世代の日本のアーティストたちに強い影響をうけて,荒井のパフォーマンスは,ナショナリズムとアイデンティティ・オブセッションを指弾する。

最近,2003年の9月,中国の長春で開催された第4回オープン・アート・フェスティヴァルで,荒井はよく知られた「ハッピー・ジャパン!」を演じたが,これは1999年以来,5年以上にわたってつづけてきた彼の十八番のパフォーマンス作品だ。

このパフォーマンスで,まず荒井は,ダーク・グリーンのスーツ姿で登場する。彼の話すところによると,これは日本海外青年協力隊,すなわち,日本の文明を世界にひろめるための,40歳以下の若者の団体の制服だという。そしてこの組織の名誉会長は天皇陛下だ,と。

よく聞きとれる,淡々とした話しぶりで,彼は手にもった一冊の本を観客に紹介する。『戦争論』。問題になったミリオン・セラーのマンガ本である。

一見ふつうの,とりたてて問題になりそうもないこのマンガ本は,なかなかどうして,じつはウルトラ・ナショナリズム・プロパガンダのアンチョコ版のような ものだ。たとえば,第二次大戦中,日本の占領軍によって東南アジア女性に強いられた性的隷従とともに,南京大虐殺を否定するなど,近代日本史のさまざまな 悲劇についての修正主義的論点をとりあげているのである。

つぎに彼は,着ているものを脱ぐ。身につけているのは,性器をおおうイチジクの葉っぱ代わりの,ピカチュー・ポケモンだけ。そして床にしゃがみこむ。日本 の国歌を歌いながら,彼はお尻のすぐ下から,赤いペイントの入ったリキテックスのチューブを押ししぼる。まるでウンチをするように。

ウンチのうえの裸のお尻を使い,彼は白いキャンヴァスの真中に,円い,だが,いびつな朝日を描く。どうやら日章旗のつもりらしく,彼はあとで,それを壁にかかげる。

彼はそれから,くだんのマンガ本のページをあちこち任意に破りとり,いくつかを観客にあたえ,ほかは,セリフの数行を読んでから口のなかに押しこむ。 「ハッピー・ジャパン」と叫びながらムシャムシャ。だが同時に,口のなかにいっぱいになった紙のせいで,彼の上ずったスピーチはとぎれとぎれ。すっかり呑 みこまれてしまうまえに,声は荒れすさぶ。

ゆがんだ顔を涙が伝い,最後の,ほとんど言葉になっていない「ハッピー・ジャパン」が,むせぶ口から出てくるとき,このパフォーマンスは終わるのだ。

彼はアクティヴィストなのか?--------
日本のパフォーマンス・アート界の以外のところでは,しばしばそう思われているけれど。
彼はほんとうにアーティストなのか?--------
外国では,とりわけ中国では,彼はそのようにうけとめられているけれど。そう,中国での彼のパフォーマンスは,つねに観客の心を深く動かす。彼の作品が呼 びおこす思いは,多層的・連続的なレヴェルにおよび,彼のパフォーマンスが見た目より陰影に富んだものであることがわかってくる。

このことはまた,彼のほかの作品についてもいえる。たとえば「ツーリスト・シリーズ」。その最後のエピソード「ツーリスト#7 ヴィヴァ グローバリズ ム!」も長安で演じられた。むきだしの政治的メッセージをもつこのパフォーマンスは,あまりにも陳腐で,かつおかしみに満ち,観客はついシニシズムにさそ われてしまいかねないほどだ。

ところが,とつぜん,これが痛切な混合のシーンによってかきみだされ,徐々に生みだされる強烈な感情の多層的な波が観客をのみこんでいく。ここにこそ荒井 作品の真骨頂がある。彼の批評性は,子どものおもちゃのように見えながら,じつは大量生産と消費主義のおそるべき技術を顕現させるイメージの数々,すなわ ち,世界中の子どもたちの創造力を養うポケモンのフィギュア(イチジクの葉としてのピカチュー),また日本人の日常生活やアート・シーン(村上隆)でおな じみで,さらに西洋人好みの現代日本美術像をつくりあげるマンガの表象にもとづいている。

「豊かだといわれる日本,民主主義が成熟しているといわれる日本,表現の自由があるといわれる日本,この日本で私にできることといったら,泣き叫ぶことだ けしかない」と,荒井は最近のインタヴューでいった。侵略戦争を経験した国は,自分たちの罪の意識を始末し,集合的責任を否定するために,いちどは修正主 義的な局面をくぐる--------そのようにして,被害者の人間性,彼らの記憶と正義への権利を否定するという,さらなる罪を重ねるのだ。

出版社が,すくなくともポピュラーなマンガという形式によって本(『戦争論』)を商業的に成功させ,その修正主義的イデオロギーをひとつの社会現象に変えてしまうとき,居心地の悪さはかえって深まっていく。

荒井はみずからの政治的反逆をマイムや演技によって劇場的に表現するためにからだを使うのではない--------それを生きるのだ。彼はナショナリズム の根っこを食い,日本という国のシンボルを排泄することによって,自分のからだにみずからの政治的良心を経験させるのである。

しかも,日本の国旗のイメージをつくりだす彼のアクションは,国旗を焼いたり破ったりするありきたりの反体制的ジェスチュアからさらに一歩離れさせる。アクションは破壊とか間接的な用い方とかではなく,単純直截な創造にもとづいているのだ。

荒井は,彼がフェスティヴァルで「ハッピー・ジャパン!」とともにやりたがるほかのパフォーマンスでも,同じプロセスをたどる。すなわち,ナラティヴな語 りに,アクション--------最初はコミカルで,ついで強烈な,あるいはドラマティックでさえあるアクション--------がつづくのである。

「ツーリスト#4 グローバリズム/インターナショナリズム」「ツーリスト#6 あんたはダメだ」「ツーリスト#7 ヴィヴァ グローバリズム」といった 彼の中国における最近のパフォーマンスは,すべて過剰なコマーシャリズムを批判する。アクションにおけるそのからだは,社会的緊張にたいするひとつの焦点 となって自己主張し,態度は形式となる。

彼のパフォーマンスは時に観客を当惑させることがある--------
彼が提起する問題ゆえなのか,それともたんに,彼自身のからだの,そこまでさらしてしまうのか,といわせるほどの生な存在ゆえに。

それでいてなお,彼のからだは見せものではなく(ショウ--------劇場的パフォーマンスなら,観客はもっととっつきやすいだろう),アートの道具でもなく,パフォーマンスの瞬間におけるアートなのだ。 

このように荒井作品は,1950年代初頭からはじまるパフォーマンス・アートの最もラディカル表現-----日本の具体グループやネオ・ダダ・オーガナイザーズ,オーストリアのウィーン・アクショニスト,アメリカのボディ・アート-----とつながる。

アジアでは,パフォーマンス・アートはまず日本で,西欧と同じようなカウンター・カルチュアの理想の出現にみちびく気風のなかで発達した。1955年,吉 原治朗によって大阪で創立された有名な具体グループと東京のネオ・ダダ・オーガナイザーズが基調------時には戦後,ヒロシマ後の荒廃にたいする政治 的反応として発現する,ラディカルで身体的なアート-----となる。

社会的・政治的プロテストの文脈にある1980年代の霜田誠二のような,どの系譜からも離れたアーティストのアクションも,演劇と詩のタッチをともなっ て,パフォーマンス・アートに私的な次元とフォーマリズムの美学をあたえた。日本におけるこんにちのパフォーマンス・アート・シーンが,霜田誠二のエネル ギーに多くを負っていることは,いうをまたない。彼は1993年,日本国際パフォーマンス・アート・フェスティヴァル(NIPAF)をはじめて以来,主と して日本とアジアからのパフォーマーたちに刺激をあたえ,彼らを結集してきた。

あらゆる形式のパフォーマンス・アートに開かれたこの文脈のなかで,荒井のようなアーティストたちは,自由な意思による,魅力的で創造的な行為を存分に発揮することができたのだ。

荒井のアート言語は,彼自身の国の現代アート・シーンの基本的な部分となっていることは疑いない----ユーモアと洞察をもって経験される,主としてグ ローバリズムとナショナリズムの問題を標的とする彼の政治的対抗(そのあからさまさにもかかわらず,そして,それゆえにこそ,とあえていおう)は,彼の個 人的な経験の表現と彼のパフォーマンスの美学的次元に先立つ。荒井は,NIPAFの多くのほかのパフォーマーにくらべてそれほど詩的でもフォーマリズム的 でもないけれども,彼の作品の力によって,私たちに,ありふれたイデオロギーの暴力の再考を迫る。つまり,まさに私たちが,どこにイデオロギーの罠がある かすでに知っていると思っているがゆえに,無意識のうちにもその力を忘れてしまう。それゆえ私たちは,自分たち自身のシニシズムのスペクタクルに屈すると いうわけなのだ。

ベレニス・アングレミーは北京を本拠とするフリーランスの美術批評家。北京のDIAF(Dashanz International ArtFestivalの実行委員長でもある。


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荒井真一 (web master/shinichiarai@hotmail.com