「いのちの女たちへ−とり乱しウーマン・リブ論」第1版へのあとがき(1972年4月)
田中美津
まず、権力のいやがらせが日々激しくなりつつあることを告げておきたい。仮にも「運動」と名がつけば、いずこも同じ秋の夕暮れ、といった状態だと思うが、未だに「運動って何かね」と首をかしげつつ、世間サマが「運動」だと思ってくださるリブをやっているあたしたちなのに、それでも権力から見れば充分目ざわりな存在らしい。コレクティブに入るにあたって、グループの一人がそれまで借りていたアパートを人に貸したら、野津加津江という名のその人が、家から猟銃を盗んで過激派に渡したとかで、袖すりあうのも何かの縁といっても、顔を合わせたことすら一度あるかないかのその人がいつのまにかあたしたちのグループの一員にされていた。その権力直輸入の情報から、ぐるうぷ闘うおんなは武装闘争に決起した! と新聞がまことしやかにデッチ上げてくれたのは、おかしなことにあたしたちが慣れないホステス稼業に悪戦苦闘しているその最中のことであった。権力の悪賢こさは今さらながら驚くばかりだ
いま、私服の尾行は日常茶飯事、中には厚かましくも親のもとに日参して「おたくのお嬢さんは『ぐるうぷ闘うおんな』の幹部!で……」と桐喝する例さえあった。「幹部」ということばが飛びだすそのオツムの遅れぐあいに「あんたが幹部なら、あたしは『組長』かね。なんかテキヤの親分みたいでイヤだねェ」と笑いあいながら、しかし権力のその爪の研ぎ具合に身がひきしまる。武装闘争を一番したがっているのは権力なのに。つまり運動という運動の全部を非公然化したがっている時に、武装闘争、武装闘争と走るバカがどこにいるって! 少くとも新左翼の、その延長線上で武装闘争なるものに決起したところで犬死に以外のものではない。メスとして尻尾を振ってきた女であれば、たてまえのもとに犬死にするも、犬生きもゴメンだ。
女は常に「現実的」なのです。一にも二にも公然活動−−他人サマの思惑をよそにハレンチに右旋回、左旋回しつつ得たあたしたちの結論はこれだ。主婦連の運動から新左翼の運動まで、今まで運動といわれる運動が切り捨ててきたものを、全部しょい込んで進もうとするリブならば、そうやすやすとカツコよく離陸のできるハズもないことだ。リブを特殊化して、なんとか「一般の女たち」から切り離そうと図る権力は、しかし、己れの女房も又、リブが起きたというその状況からは逃れられない女の一人であることを見落している。あたしたちがリブなんじゃない、女の生き難さの中にリブが息づいているだけの話だ。全ての女の「生きる」がリブになること−−この世が人間の世界に変りうるかどうかの唯一の可能性がそこにかかっている。
いま(経済的に性的に自立した女)というイメージが、管理職希望の女と、一部有名未婚の母によって形づくられつつある。戦後靴下並みに強くなったと称される女の、その表看板が新たに塗り変えられようとしているのだ。ということは大部分の、そうはなれないドジな女は、その表看板の裏で日陰でも育つはもやしばかりだとグチリつつ、再びその生きてない苛だちを満たそうとより深く体制秩序を奉じてゆくことになる。無価値だと思い込まされた者は、この生産性第一の世ではその存在そのものが罪悪であり、故にその免罪を求めてたてまえに殉じてゆくのだ。こんなことでみんなに喜んでもらえたら−−とお茶汲みを己れの分と心得る女たちのその延長線上に「軍国の妻」「靖国の母」の亡霊が再び大手を振って甦る。
女の解放とは殉死を良しとする心の構造からの解放だ。そのためにこそドジなあたりまえの女たちが(女から女たちへ)と経済的に性的に自立してゆくこと−−運動としてのリブが目指そうとしているのはそれだ。だから運動の大義を奉って男も子供も断つなんてマッピラごめん。仰ぎ見られる一人が必要なのではなく、女たち全てが肩を組み合うことが今問われているのだ。語り切れない想いを込めてあたしはこの本をまず母に贈ります。そして、もとコレクティブだったメンバーと、書いてる最中、健康のことを含めてあれやこれや気づかい、協力してくれたリブの仲間たちに−−。
田中美津著「いのちの女たちへ−とり乱しウーマン・リブ論 新装版」(発行/パンドラ 発売/現代書館 2001年 ISBN4-7684-7819-0)より
荒井真一
1959年生。1982年美学校で吉田克朗から銅版画を学ぶかたわら、サエグサユキオ、久住卓也、ホシノマサハル、赤木能里子と「赤木電気」を結成、即興パンクおよびパフォーマンスを始める。83年「天国注射の昼」における「日比谷野音、赤ペンキぶちまかし事件−川俣軍司に捧ぐ」で、公園管理事務所から永久使用禁止を言い渡される。その後「大昭和発電」(桑原正彦、久住と)、「現場の力」(サエグサと)、「福福物語」(鈴木健雄、谷川まり、サエグサと)に参加。99年以降作品「Happy Japan!」などでソロ活動。韓国、フィンランド、インドネシア、台湾、中国、香港、ビルマ、カナダ、英国、米国、ドイツ、フィリピン、タイで公演。06年東アジア(フィリピン、中国、タイ、インドネシア、香港)の5作家を招き「大東亜共栄軒」を企画。日本での公演はその作品の性格上、非常にまれ。
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