"Happy Japan!"
荒井真一


日本のパスポート(菊の紋章付き)を見せる

写真は2005年9月中国・成都で行われた「第6回Open国際パフォーマンスアートフェスティバル」での「Happy Japan!」という作品。

パフォーマンスを始める前に 荒井が話す。

2000年8月私は第1回Open国際パフォーマンスアートフェスティバルに参加するために、初めて中国・北京を訪れた。このフェスティバルは陳進(CHEN Jin)、舒陽(SHU Yang)、朱冥(ZHU Ming)によって企画された中国初の国際パフォーマンスアートフェスティバルだ。その前年(1999年)朱冥(ZHU Ming)とNIPAFで一緒だったため、招待してくれたのだ。

空港には陳進(CHEN Jin)、舒陽(SHU Yang)が来てくれた。彼らと会うのは初めてで緊張した。朱冥(ZHU Ming)は明日ドイツから帰ってくるらしい。企画者・スタッフの中で英語を話せるのはSHU Yangだけだった。それで中国語の話せない私は舒陽(SHU Yang)と連日、両国の美術、社会、政治、経済のことを語り合った。
それ以来私は年に1、2回彼らの面白いフェスティバルに参加するようになった。そして、彼らといい友だちになれたと思っていた。

2002年6月香港の三木 aka 陳式森(SAN Mu)が「1989年6月4日の天安門虐殺を記念する」パフォーマンスフェスティバルを企画した(カッコ内部分パフォーマンスでは自主規制した)。舒陽(SHU Yang)も参加した。いつもは企画者で忙しい彼だがそのときは純粋にパフォーマーだ。だからいつもよりたくさん話し合うことができた。

ある日舒陽(SHU Yang)が突然「初めて北京空港で荒井に会ったとき、とても怖かった」と言った。「荒井は身近につきあう、初めての日本人だったから」。
舒陽(SHU Yang)はおじいさん子で、おじいさんは日中戦争時、人民解放軍の兵士だった。そしておじいさんは戦争時、日本の皇軍がどんなにむごいことを中国人に行ったかを彼に話し、聞かせていた。

2005年5月王楚禹(ワンチューユ)や舒陽(SHU Yang)たちが企画する第3回Dadaoライブアートフェスティバルに参加するため北京を訪れた。
その前日、富山で一人暮らしをする78歳の母を訪ねた。
母は泣きながら訴えた「絶対、中国には行かないで。中国に行ったら、おまえは殺される!」。
そのころテレビでは北京、上海での中国人の日本政府の外交政策に抗議する大規模なデモが連日映し出されていた。日の丸を焼き払っている群集もいた。



お尻の穴を見せる

君が代を歌いながら、うんちんぐスタイルで
リキテクスの赤い絵の具をウンコのようにひり出す
そのウンコ状のものの上で回転を始める



荒井は小林よしのりの漫画「戦争論」を見せる
「この漫画で作者は、日本人はもっと愛国心を持つべきだ
日本はもっと軍備力を持つべきだ
南京大虐殺などでっち上げだ
日本皇軍に中国、韓国などアジアの性的奴隷など存在しない
彼女たちは対価をもらった娼婦だった
と主張している
この漫画はシリーズで百万部以上売れた
その読者のほとんどは30歳以下だと言われている」
と語る



観客に漫画の1ページを渡し
その後、1ページを口に詰め込み
Happy Japan!
と叫ぶ
口に詰め込めなくなるまで行為を繰り返す


"Happy Japan!"

-->大東亜共栄軒
--> ARAIart.jp


©ARAIart.jp