陳式森(チェン・シーセンaka 三木 Sanmu Chan/香港)「暴徒ではない!暴政だ!」Tシャツについて

荒井真一(パフォーマンス・アーティスト)

陳式森




20190701 香港立法会 陳の旗がある

友だちの詩人、さとう三千魚が浜風文庫’s STOREにて上記Tシャツを販売することになりました

陳式森は荒井とさとうの友だちです。
★姓の陳、名の式森の森は木が三つ。それでむかしから彼のニックネームは三木(中国音でサンムー)だそうです。チャンは日本的な感じかな。


—————————

陳式森(aka 三木 Sanmu Chan)プロフィール

1963年北京生まれ。その後、広州移住。86年広州でパフォーマンス活動を開始。「南方藝術家サロン」に参加。879月渡日89年天安門事件後、日本にて中国民主化運動に参加。中国政府のブラックリストに載り、中国に帰れなくなる。その後、戦争、虐殺、天安門事件を表現し続ける。97年よりNIPAF加。『新華字典』『朝花夕捨』『偽自由書』『山海経』など連作を発表。200164日香港・マカオで『偽自由書・一種姿勢』、02815日東京靖国神社境内で『偽自由書・8.15の靖国』を発表。同年9月中国に帰れる状況と判断し帰国。香港に移住。以後、パフォーマンス・アーティストとして、特に香港の文化的、社会的、政治的な問題に仲間とコミットを続けている。

https://www.artforum.com/news/artist-sanmu-chan-detained-by-chinese-officials-for-ties-to-pro-democracy-protests-in-hong-kong-80562?fbclid=IwAR3by1W72WkEidiO2-NIhXo9lNQkG91y03a8cBReyiumAEwSg-3s6_E0Qhg


http://www.araiart.jp/chensan.htm

————————

「暴徒ではない!暴政だ!」は現在の香港人(の民主化/反植民地化へ)の思いであり、書家でもある陳が揮毫したものです。


荒井は2019年8月に香港に行きデモにも参加しました。そのデモは指導者がいない自発的なもので、その形態に驚きました(FBに書いた文章を読んでください)。

Tシャツの値段は1着につき2,500円+送料で
2色(Black、Grey)ありそれぞれサイズを選べます。

決済はクレジットカードのみです。

詳しくは浜風文庫's STOREにて

——荒井真一のFBの文章———

20190825

香港のデモを見学した。郊外の地下鉄藍田Lam Tin駅近くの倉庫街。地下鉄は途中の彩虹Chai Huang駅で運行取りやめ(デモ参加者への妨害)。タクシーで行く。


倉庫街に着くと黒い服、防毒マスク、ゴーグル、黄色いヘルメットを首にかけた若者たちがチラホラ。案内の陳式森によると、さっきまでここで警察とデモンストレーターが激突し、別の所に逃げて警察と対峙しているとのこと。別の所を目指す。


デモンストレーターが増えてくるが、横断歩道にスローガンを書いたり、道路に座りこんで談笑したりと、倉庫街の広い道路は広場となっていた(車は入らないように誘導していた)。目指す所に近づくにつれ人々は増えていく。運んできたコンクリートブロックを(傘で隠しながら)ハンマーで崩す人たちもいた。


最前線に近づくとデモンストレーターで道路はいっぱいになりみんな立ち上がり、ときどきだれかが叫ぶとそれに追随して何人かが叫ぶ。緊張感がみなぎっていた。300m先に警察が整然と盾を持って並んでいる。催涙銃も持っているだろう。200人ほどか。デモンストレーターは後方も含めれば5000人以上はいるだろう(横や警察の後ろにもいるだろから1万人以上か)。


催涙ガス弾が発射され始めた。わたしたちは帰ることにした。ときには走って後方を目指し、また前方に戻るデモンストレーターを横目にバス停に向かった。その後方には続々と若者が集まってくる。ある女性はタイツ姿でスニーカーはナイキ、黒いタイトなTシャツ、バックパックはパタゴニア、まるでジョギングの格好。しかし防毒マスク、ゴーグル、黄色のヘルメット、厚での作業用皮手袋で決めている。彼女は特別ではなく、みんなカジュアルであったりスポーティであったり、日常の延長にデモがある感じだった。


日常的に見えた道路の広場化は、日常的ではないのはもちろんだし、警察に押されると逃げて、別の場所を広場化する手法は都市ゲリラのものだ。まったく新しい文化に触れた。


バスターミナルに着くと警察車両でいっぱいでバスが入ってこれない状況だった。装甲車から武装した警官が続々と倉庫街に向かっていった。怖いと思った。デモンストレーターの数に戦力的に匹敵する武装警官が導入されたのだ。多くは本土から派遣された警官らしい。


バスは10分後に来たが、バスターミナルを抜けるのに30分以上かかり、その後も大量の警察車両により渋滞が続き旺角Mong Kokには普通40分ほどが2時間半かかって着いた。

——後日、ある日本の友人への返信——

中国による植民地化への闘争です。老いも若きも、女も男も、金持ちも貧乏人も植民地になるのが嫌だ、と戦っている。沖縄と同じ。皮肉にもかつて毛沢東たち中国共産党が日本軍と戦った時のスピリッツでしょうか? 遊撃戦という戦略も毛沢東たちが使ったものだし!