哀悼と戦闘

エイズ実践運動の私の師、グレッグ・ポードウィツのために(3/3)

ダグラス・クリンプ/笹田直人訳

われわれには死の願望があるのだと、時々私は思うことがある。われわれは死の願望をもたねぱならないと、私は思う6年間もの長きにわたって、なぜわれわれは懐手をしてわれわれ自身が一人また一人と倒されていくのを傍観しているのか---反撃もせずに。私はいまだに全く理解できないのだ。私は、死の否認については耳にしたことがあるが、これは否認以上のものだ。これは死の願望なのだ。

およそ二年後、『ネーション』誌に掲載きれたエイズ活動への卑劣な差別的攻撃のなかで。ダレル・イェーツ・リストはアクト・アップがエイズ以外のいかなるゲイの間題をも無視するものであるとして---まったくおかどちがいにも---非難した。サンフランシスコのテンダーロイン地区[悪徳と堕落の地区の謂]に行って、十代のゲイ逃亡者たちや男娼たちに出会ったことを回想したあと、リストは次のように続けて言う。

私は、それら見捨てられた青年たちにまじって一夜を過ごしたその直後、カストロ[サンフランシスコのゲイ・コミュニティーのストリートの一つ。]のレストランで夕食を食べながら、他の客たちがただもうエイズのこと、死者のこと、死ぬこと----彼らの心のなかでは、サンフランシスコのすべてのゲイがそれに巻きこまれていた、まさしく流行性ヒステリーだ---だけを語るのに耳を傾けた。「これが闘うぺき唯一の事柄だ」と彼らのうちの一人は実際に言っていた。最近、劇作家にしてエイズ活動家のラリー・クレイマーも同じようなことを言っていたのを、私は聞いたことがあった。そして、息苦しい瞬間に、われわれはみな自暴自棄になり、自分自身の死の願望のために死んでしまうのだろうと感じたのである。

私の残りの議論の枠組みとしたいことは、死の願望についての二つの主張のあいだにある---一つには、かつてわれわれはまだエイズ活動家ではなかったからであり、もう一つには、現在はわれわれはエイズ活動家だからである。これまでに私が概観してきたことからして、エイズ禍を患い亡くなった途方もない数の死者に対するゲイの男性たちの反応がどんなものか、予想しうるもののように思えるかもしれない。しかしこれまでの概観は事実とは金くかけ離れてお1)、われわれの経験について私の知っている事実に目を瞑って、フロイトの「哀悼とメランコリー」を図式的に読んだ結果得られたものにすぎないのだ。私は、われわれの闘争の充分な深みや多様性を説明していないし、闘争のありうぺき結果の多様性もまだ説明していない。こうした欠陥を修整すべく私の提供したいのは、われわれの直面する諸間題のリストにすぎないのであって、それに対して誰でも構わないから、あとを付け加えてくれたらと願うものである。エイズで死ぬ人の殆どは大変に若く、彼らの死に対処するわれわれ自身も若く、全く何の備えもなく大きな喪失と直面してきた。死者の数は考えられないほどである、恋人、友人、知人、そして共同体のメンバーが病いに倒れ、死んでいった。多くの者が、100人以上の人の死に出会っている。死者のことの他に、われわれは、身の毛のよだつような病いそのものとも闘わねぱならない。しぱしぱ長期間にわたって看護人として数え切れないほど病院を訪問し、精神面での援助を与え、全く不適切かつ非人間的な健康管理組織や社会福祉事業組織と交渉を行ない、実験的な治療法の数々に遅れずについていかねぱならない。われわれのなかにはエイズの複雑な医学について、医者と同等かあるいは医者より多くを学んだ者もいる。看護のことや仲間の喪失に加えて、自分自身のHIV感染について監視し、どのように治療すべきか決断を下し、あるいは自分自身の健康状態についての不安に直面しなけれぱならない場合も頻繁にあるのだ。病いと死が惹き起こした混乱にもかかわらず、世間はわずかぱかりの援助しか申し出ないし、また認識をあらためようとさえしない。それどころか、われわれは非難され、軽視され、排除され、あざけられているのだ回差別され、住居や職を追われ、医療保険、生命保険からも締め出されているのだ。この疫病と闘うのが仕事であるはずの公的機関は、これまでことごとく対応が遅れ、まったく遅きに失してしまうか、意図的に逆効果を狙うかであった。それゆえ、われわれは、援助・看護・教育のためのセンターを設立しなければならなかったし、基金をつくり、われわれ自身の治療研究を実施しなければならなかったのである。われわれゲイの荒廃した共同体と文化を再建し、性関係を復興し、性の快楽を再び創出しなけれぱならなかった。きわめて短期間のうちに、しかも先述したような逆境のなかで、大きな成果を上げたのにもかかわらず、支配的メディアは、依然として、われわれを次剃こ消耗してゆく死の床についた犠牲者としてのみ描いている。それゆえわれわれは、表現の闘いをも行なわねぱならなかったのである。フラストレーション、怒り、激怒、憤激、不安、恐怖、恥辱、罪悪感、悲しみ、失望---われわれがこれらを感じたとしても驚くにはあたらない。むしろわれわれが感じない場合が多いとすれぱ、驚くべきことなのだ。戦闘のための怒りは、鈍い麻痺感、あるいは絶えざる抑圧感しか感じない者にとっては、恐怖感に麻淳し自責の念にかられ罪悪感にうちひしがれた者たちの場合と同じように、当然思いもかけないものだ。こうした反応一われわれ自身のモラリズムのかたち一を非難することは、われわれが何とか耐え抜いてきた暴力の大きさを否定することに等しい。さらに重要なことには、精神生活の根本的事実を否定することにつながるのだ。暴力は自己に与えた苦痛でもあるのだ。フロイトの後期の著作でもっとも論議を呼んだ理論上の概念は、死の欲動、生の本能と争う欲動、攻撃と自已攻撃の双方を含む欲動である。フロイトは死の欲動によって、人間の悲惨をもたらした社会的諸要因を決定的に回避したのだと主張して、ライヒがフロイトと決裂したのもこの概念をめぐってであった。しかし、ライヒの批判や政治的精神分析の他の提案者たちの批判に抗して、ジャクリーン・ローズは、「暴力をどこに位置づけるか」を見定める際と同じように、われわれが精神生活と社会生活の関係を理解しうるのは死の欲動の概念を通じてのみ可能であると論じる。活動家には死の願いがあるというダレル・イェーツ・リストの俗流精神分析に抗して、われわれは死の欲動を認めてはいないと反対に示唆したい。つまり、われわれはわれわれの悲惨は外からと同じように内からも来るという知識を、それは社会的闘争の結果であるとともに精神の結果でもあるという知識を否認する一というよりはむしろ、ローズが書くように、われわれの悲惨は「内部あるいは外部、精神あるいは社会に位置づけられうるものではなく……むしろ二分法それ自体の結果として現われる何か」であると主張する。あらゆる暴力を外部のものとし、外側に押し出して「敵」である体制や個人のなかに対象化してしまえば、暴力を精神の上で分節することを否定することになり、われわれが悪影響をも含めて、暴力の影響を蒙っていることを否定することになる。おそらく次の例が、私の論点を明らかにしてくれるだろう。HIV抗体検査の問題は、エイズ活動家にとっては運動が形成された瞬間から中心的関心事であった。義務的検査あるいは秘密検査を実施しようとするあらゆる企てに反対して、われわれは自発的な匿名の検査の絶対的権利を主張してきた。1989年6月、モントリオールで開催された国際エイズ会議の席上、ニューヨークの健康間題審議委員のスティーヴン・ジョゼフは、HIV陽性の人たちの免疫システムの観察と初期の治療による介入が彼らの生命を延命し救うことを可能にするという事実に基づいて、保菌容疑者の追跡調査を義務づける秘密検査を要求した。われわれは、彼の疑心暗鬼の提案にすぐさまあらゆる適切な反対意見を提起した。匿名性が保証されていれぱこそ、人々は検査を受けるのであリ、検査希望者に便宜をはかるにも、ニューヨークの実状ではあまりにその場所が少なすぎ、しかも陽性であるかどうかの検査を受けた人たちの面倒を見るのに必要な行政サーピスが、近年の取り扱い件数を受け入れることさえできていないからである。検査、カウンセリング、観察、初期の治療による介入、これらは実際に重要であることに同意しつつも、代案として、匿名の検査場の増設や観察や治療のために近所で予約なしに診てもらえるHIVクリニックの組織化とを要求したのである。われわれの訴えと要求の正当性については、われわれは完全に自信をもっていた。スティーヴン・ジョゼフがこれまでに挑発の種をまいてきたのは知っているし、膨大な数の感染者に対する政府の健康保護策の底知れぬ失敗も知っている。そして、われわれは、初期治療の利点ぱかりでなく、治療の選択自由が何たるかも正確に理解している。しかし、このような正確な知識をもっているにもかかわらず、われわれは、次のことは忘れている。それは、検査を受けることについての、あるいは血清陽性の場合、困難な治療の決断を下さねぱならないことについての、われわれ自身の両価感情である。検査や治療の幅広い利用可能性を要求することについてフロアー・ディスカッションを長時間行なったにもかかわらず、われわれ自身は、それを必ずしも利用してはいないし、自分たちの不安や未決断についてはほとんど議論していないのだ。モントリオールでのジョゼフの発言と彼の計画に反対するわれわれの結集が成功を収めた直後、アクト・アップの「治療とデータ」委員全のメンバーであるマーク・ハーリントンは、月曜の夜の集会で次のように発言した。「このグループのなかで、カリ二肺炎で最近倒れた人を三人、私は個人的に知っている。実践主義は、日和見感染[エイズによる免疫力低下による感染症]を予防するものではないことをわれわれは認識しなけれぱならない。実践主義は、エ一ロゾール化ペンタアミジン[カリ二肺炎の治療薬]と一緒なら予防の効力を発揮するかもしれないが、単独ではエイズ予防にはなりえないのだ。」死の欲動についてのフロイトの概念に言及したからといって、私は、病気からわれわれを守るに際して死の欲動が直接の障害になっているなどと単純なことを言おうとしているのではない。むしろ私の言いたいのは、死の欲動を無視してしまえぱ、とはつまり、あらゆる暴力を外部のものとしてしまえぱ、われわれは、自分自身に面と向かうことも、自分の両価感情を認識することも、われわれの悲しみが自ら課されたものでもあることを理解することもなくなってしまうということだ。私の実例に話を戻してみよう。つまり、われわれの運命に悪い影響を与えているのは、ニューヨークの壊減的な健康管理システムや悪辣な健康間題審議委員ぱかりではないということだ。無意識の葛藤には、われわれが決断をするかもしれない---あるいはしないかもしれない、そのどちらかを惹き起こす可能性がある。そのどちらであるかの結果如何で、致命的になる場合もあるのだ。そして、スティーヴン・ジョゼフに向けたわれわれの怒リは、そのままでも正当化されうるが、紛れもなくわれわれの拒否のメカニズムそのものとして機能してしまうかもしれない。そのために、われわれは為すべき決断は一つ残らずすべて為しつつあるのだと確信してしまう。

再び、明確にしておきたい。われわれの戦闘が危うい拒否の一手段となるもかもしれないという事実は、実践主義が正当ではないということを示唆するものではまったくない。われわれを取り巻く社会から蒙る、言葉で言い表わせない暴力と闘わなければならないのは当然である。しかし、われわれをこの社会の一部としている他ならぬ心的メカニズムを通じて、暴力がその恐るべき報酬を獲得しうるのだと理解するのであれぱ、ならぱこそわれわれは、怒りだけでなく、自分たちの恐怖・罪悪感・底知れぬ悲しみを理解しうることにもなるかもしれない。だから勿論、戦闘があるが、しかし哀悼もつきものである。哀悼かつ戦闘なのである。

*[]内は訳註である。原註の訳は割愛した。

Douglas Crimp:Mourning and Militancy 0ctober 51.(Winter1989)

◎1990 by the Massachusetts Institute of Technology and October Magazine,Ltd


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