竹田賢一

ジョン・ゾーンのコブラ・ツイスト・ゲーム音楽における構造についての体験的考察
CHRIS001(1985年6月発売)

 去年はニュー・アカ・ブームというのがあった。ならばニュー・クラ・ブームというものもあるはずなのだ。

 ネアカ/ネクラが流行語となったとき、時代はもちろんネアカに加担しようとしたわけだがそれは次々と排除していかなければならないほどの潜勢的な力と量を、ネクラな存在が持っていたからだ。昨年、ニュー・アカの“神々”に祭り上げられた人たち自らが早々とニュー・アカ終結宣言を発してしまったのは、彼らが異物として排除しようとしたオールド・アカデミズムが、それこそもう古臭いものであって、何らの潜勢的なブームを形づくり得ないものだったせいだ。やはり、ニュー・アカの対極にあるのは、ニュー・クラでなければならない。

 ニュー・アカの陰にはニュー・クラ、をいう予測を証明するかのようにこの3月から5月にかけて、アート・リンジー、エリオット・シャープ、ジョン・ゾーンという3人のニューヨークで活動するミュージシャンがたてつづけに日本に滞在していった。というと、ニューヨークのノウ・ウェイヴとして登場した彼らの、いったいどこがクラシックなのか、と疑間符をつきつけられるかもしれない。もちろん彼らの音楽は、細野晴臣が感動して聞いているセザ−ル・フランクのような、とうとうNHK・FMからも見拾てられかかっているクラシック音楽とは全く似ても似つかない。

 そういうのはオールド・クラシックだからね。

 ではどこがニュー・クラシックなのか。彼らは、フリー・ジャズとパンク・ロックという、2つの音楽解体の波を潜ってやってきた(もう一つジョン・ケージを極点とする現代音楽の解体作業をも視野に収めるべきだろう)。フリー・ジャズもパンク・ロックも、それぞれジャズやロックが整序されたスタイルの中で洗練と安定を究めようとしたとき、あらゆる完成した方法を次々と反故にして、音楽を方法以前の未分化な衝動の容器に変えた。ネゲントロピー情報の最大値を求めるという意味では、それらは混沌の賞揚であった。それらは、60年代、70年代の受容された音楽、ジャズやロックを含むポップスから見れば、とてつもなくバロックな存在だった、バロック音楽が同時代人たちの目には、奇妙で粗野で醜悪なものと映ったように。

 ノウ・ウェイヴのミュージシャンたちは、その混沌とした音楽に、何らかの方法を与えようとしたことで、ハイドンからベートーヴェンにいたる作曲家たちと同様に古典派なのだ(エリオット・シャープがニューヨーク州の田舎からマンハッタンヘ出てきたとき、彼が憧れていた“ロフト・ジャズ”はすでに流行を終えていた。しかし、ロフト・ジャズの活動の中心を占めていた黒人ミュージシャンたちの関心もまた、フリー・ジャズのフリーキーな自由を生かしつつ、いかに構造化をもたらすかだった)。といっても、彼らはフリー・ジャズやパンク・ロックがあたかも存在しなかったように、昔の形式に戻るわけではない。そこがニューなのだ。

 先だっての5月11日、ぼくはジョン・ゾーンのアンサンブル・ピ−ス、「COBRA」の日本初演に参加させてもらった。ぼくが初めてジョン・ゾーンの音楽に接したのは、現在ショッカビリーというグループを率いてロカビリーのノイズ・ミュージック・ヴァージョンを演奏しているギタリスト、ユージン・チャドバーンとの双頭ダブル・アルバム『スクール』(1978)でだった。彼のレコーディング・デビューに当たるこのアルバムでは、やはり「LACROSSE」というアンサンブル・ピースを収録している。しかも同一コンポジションで3ヴァージョンも。

「コブラ」を演奏したコンサートでも、ぼくたちは同一のコンポジションを5回演奏した。常識的に考えれば一つのコンサートやレコードで、同じ曲を何回も演奏するなんてありえないことだ。リハーサルでもあるまいに(フランス語ではリハーサルをレペティシオン=反復という)。だが、彼の“曲”の場合、いくつものヴァージョンを提示することのほうがふさわしい。なぜなら、同一のコンポジションでも、実際に結果するサウンドは演奏の度ごとに全く異なってしまうからだ。

 それは、彼にとってのコンポジションの役割が通常の作曲とは違って、より言葉本来の意味に近いことから発している。つまり、コンポジションとは構成をすること、構造化をもたらすことであって、曲を書くというのはその縮小された部分でしかない。

 彼はロクス・ソルスというロック・トリオのプロジェクトも進めていて昨年、同名のアルバムも発表している。そこでもロックというのは、8ビートであるとか、スリー・コードであるとかのスタイルではない。「直接性、濃密な焦点を持つこと、電気音、大音量、リズム、ヴォーカル」などの特徴を持つ構造のことなのだ。テーマが楽譜で示されたりすることはなく、演奏はすべてインプロヴィゼーション、それを構造化する方式がロックというわけだ。

 彼の“構造”は単純ではない。「ラクロス」については、レコードのライナーにスコアが掲載されているので、機会があれば見ていただくとして、「コブラ」はどう構造化されていたか。

 ジャズ、現代音楽、邦楽、ロックなどの背景を持つ12人のミュージシャンと1人のプロンプター。プロンプターは十数枚の色分けされ、文字の書かれたカードを持つ、それぞれのカードはミュージシャンの演奏方法や相互の音の受け渡し方を指定する。そしてプロンプターがとのカードを出すかは、プレイヤーが特定の身振りによってプロンプターにサインを送る。さらに、ミュージシャンは自ら立候補してある期間、全体の演奏を自己の支配下に置くこともできるし、他人の指示に異議を唱えることもできる。

 こうして彼のコンポジションは、固定的なサウンドを規定するのではなく、音の飛び交う形、サウンド・テクスチャーの変幻するさまに、一定のルールを与える。

 もしかしたらこれは演劇ではないかと、ぼくは思う、それもあらかじめストーリーの定められた演劇ではなく、その場その場で役割を変じ、その状況のルールに従って臨機応変に行動していかねばならない人間社会の正確な模写のような演劇。アンサンブルの視線は指揮者に集まるのではなく、現在のトータルのフェイズを認識しながら、一人ずつあるいは何人かずつの他者の行為をも視野に収めていなければならない。ジョン・ゾーンは、ミュージカル・オプティクス劇団という演劇もやっていたんだっけ。

 彼は数々のサックス類と、バード・コールと呼ぶこれまたもっと多数のマウスピースの類を演奏し、それらの楽器のインプロヴァイザーとしてはフリー・ジャズからチャーリー“バード”パーカーに逆上れるほど伝統的なのだが、演奏=プレイを、演技=プレイ、競技=プレイと同時に読み込んでしまうコンポジションによって、伝統を超えた超古典主義者だ。

 ラクロスというのは北米インディアンから伝わる球技だが、コブラがどんなスポーツかはたまたカード・ゲームであるのか、ぼくは聞き逃してしまった。


竹田賢一

水中音楽家ミーシェル・レドルフィMichel Redolfi
(同時代音楽違人列伝1)

CHRIS002(1985年7月発売)

 ぼくは未だ水の中というのは苦手だけれど、先日トランスフォーム・ギャラリーでフィルムやヴィデオの作品やパフォーマンスを見せてくれた乙部聖子は、夫君の福本健修とともに例のモルディヴの海にまで出かけていったりしている。福本も以前は泳ぐのが苦手だったそうだが、スキューバ・ダイヴィングを始めて、沈んでしまうため泳げなかったのが、沈んでしまうことを楽しむようになったそうだ。宇宙飛行士でなくとも字宙遊泳感覚を味わえる不思議な美しい世界は、ほんのささいなことでいつでも簡単に死ねる怖い世界でもあるという。「快楽はいつも死に近づいている」という誘いかけは、十分に魅力的だ。

 ミシェル・レドルフィを誘った快楽は何だったのだろう。ともかく彼もまた、水面下の魅力に取り憑かれてしまったのだ、しかもその音響の世界に。

 初めて海中の世界にムーヴィー・カメラを持ち込んだのは、たしかクストーの『沈黙の世界』だったと思うけれど、ミシェル・レドルフィの『ソニック・ウォーターズ』(ハツト・アート2002、この2枚組のアルバムはWAVEのバーゲンで1000円だった!)を聞いて、もう30年近くも昔に見た映画のことを思い出してしまったのは、やはりあの映画音楽も電子音楽だったためだろうか。それとも、水中の音楽を考えたときの人間の想像力なんて、誰もそれほど隔たってはいないためなのか。

『ソニック・ウォーターズ』の1枚目のレコード盤は、AB面それぞれ、「Music For Fresh Water」と「Music For Salt Water」の氈`、が収められている。シンクラヴィア氓ニのディジタル・シンセサイザー、フルート、ハーブ、それにそれらのコンピュータ処理した音が素材だ。フルートとハープという楽器の選択からもわかるように、いずれも正弦波の純音に近い楽器、シンセサイザーの音にしても、時にノイズのように耳に刺激的だったとしても、非常に低音の三角波だったり、数多くの純音をクラスター的に積み重ねていたりしていて、根底のところで実に透明感のある音づくリだ。その滑らかな音響が、寄せては返す波のように、ゆったりと、あるいは急速にフェイズを変える。夢幻的といえばあまりに手垢にまみれた表現だし、実際レドルフィのイメージは手垢に汚れているといえなくもない。

 ただ彼は、このサウンドを実際に水の中に持ち込んでしまうことによって、手垢を洗い落としてしまう。2枚目のレコードに行ってみよう。

 スタジオで録った1枚目に対し、こちらはライヴ録音だ。A面は「バード・ロック・ビーチの晴れた午後」と題されている、カリフォルニア州ラジョラ近くの海岸を群れ飛ぶ鳥の声に始まり、満潮の波の音は浅井慎平の環境レコードよりリアルだ。海面上の波音がフェイド・アウトしていくと、海面直下の珊瑚礁に設置されたハイドロフォンと、海底に転がされた2つのハイドロフォンが、波の砕ける音、砂や砂利や貝殻のまろぶ音、海中スピーカーから流れる「塩水のための音楽」、「、」を拾い出す。

 ハイドロフォンというのは、レドルフィの開発した水中マイクロフォンのことなのだが、これがまたキッチュな海中怪蛇という趣きで、必見。

 B面になると、まずカリフォルニア大サンティェゴ校の温水プールでのコンサート・ライヴ。120人の聴衆がプカプカ浮いている中、氷中帽の内に仕込んだマイクで、水中に鳴る「淡水のための音楽氈vが録音される。呼吸するたびの泡のプクプク音が規則的なアクセントになって、ダイヴァーの耳に聞こえる音の世界。次に収録されているのは、ラジョラ入江海中公園で行われたライヴを水面下18メートルで録音したもの。レドルフィはこのコンサートのために、ヴィニル製空想クラゲを製作し、その水面下の触手から光と音を放射した。なぜかシンセサイザーの音を時に圧するかのような、パチパチ小枝が燃えるのにも似たノイズ。実はこれ、数えきれないほどのエビが海底で跳ねる音だとか。

 このように、1枚目の盤で聞いた音楽は、水中で演奏(?)され、水中で聞くためにつくられたものなのだ。ふつう大気中の音は1秒間に約340メートル伝わる、それに比べ水中では4倍以上、およそ1420メートルというスピードだ。そのうえ、地上で音を聞くとき、ぼくたちは、膜の振動によってステレオで聞くのだが、水中では骨格伝導によって聞くのでモノーラルになる。それらの条件をコンピュータで計算し、2年余の試行錯誤を繰り返してつくり直した結果の作品が、今紹介したレコードとなったわけだ。

 ミシェル・レドルフィの生年は不明だが、フランス生まれ、料理はムサカが得意らしいので、ギリシア系なのかもしれない。水中音楽に没頭する以前は、GMEMというフランスの現代音楽集団に属して、コンピュータやエレクトロニクスをいじっていたらしいのだが、1976年には「ボディ・スピーカー」なる作品をつくって、偉人ならぬ違人の片鱗をすでに発揮している。これは上着のように着ることのできるライヴ・エレクトロニクス用発明品だったそうだ。

 ボディ・スピーカーにしろ水中音楽にしろ共通する点は、音を自らの身体と離れたところからやってくる客体として認識するのではなく、まさに音に包まれる、音(=外界)との距離感を失った状態に自らを置くという欲望と関係している。(アルバムのライナー・ノウツには、「客体objectsとともに人は深く夢みるのではない。深く夢みるためには物質matieresとともに夢みなければならない」というバシュラールの言葉が引用されている)。

 液体に身体を包まれ、骨格伝導によって音を聞いていた時期は誰にでもある。母の胎内にいて、心拍音や体内の音を聞いていた10カ月に満たない期間だ。レドルフィの水中でコンサートを行うという、一見気宇壮大な発想が、なんとなく頬笑ましく、むしろ夢みがちな幼児性を帯びて感じられるのも、発想の根源に横たわる彼の母胎回帰願望のせいかもしれない。

 この母胎へと遡る音楽の始源への道と、水-----海という生命の始源への道が、実は同一の道だったと身をもって証明しているのが、ミシェル・レドルフィではないだろうか。そして、ひとたびテープの上に固定された音響(いかにそれが手垢にまみれたものであっても)も、水中で再生されたとき、水の分子の移ろいとともに常ならず形を変える。瞬間ごとに生まれ消える音響は、バシュラールが『水と夢』で引いているヘラクレイトスの箴言、「人は同じ河に二度とは水浴びをしない」を改めて想起させる。「水に献身する存在はめまいの状況にある。彼は瞬間ごとに死に、彼の本質のなにものかはたえず崩れている」。

 ミシェル・レドルフィは今、政府給費留学生としてカリフォルニア大サンディェゴ校で水中音響学の研究をしていると聞き、フランス政府もなかなか酔狂なものだと思っていたところ、先ごろアメリカ海軍スパイ事件というのが新聞で報道された。海底音響探知網の機密がソ連に流れていたというのだ。レドルフィの夢だって、もしかしたらパワー・ポリティクスという非空想原子クラゲの触手として使われているかもしれない。


竹田賢一

ジョン・アップルトンがアップル・コンピュータを使っている確証はない
(同時代音楽違人列伝2)

CHRIS003(1985年8月発売)
先号で紹介したミシェル・レドルフィのアルバム『ソニック・ウォーターズ』に目が止まったのは、もちろん"水中音楽"というコンセプトがぽくの好奇心を惹きつけたせいだが、カヴァーの裏に短く推薦文を寄せている筆者の名前に懐かしさを喚起されたせいも、いくぶんあるのだ。

その人の名は、ジョン・アップルトン。現職は、1967年から引き続いてニューハンプシャーにあるダートマス・カレッジのエレクト口ニック・、ミュージックスタジオの主任教官で、ディジタル・シンセサイザーのシンクラヴィアを使って、コンピュータ・システム・ミュージックを試みているらしい。レドルフィは初めてジョン・アップルトンの前に現れた際、プ口グラムを書くのとムサカを作る(ということは、彼はギリシア系なのだろうか)かわりに、そのシステムを便わせてほしいと提案したのだそうだ。

ぼくがジョン・アップルトンの名前と出会ったのは、1978年以来『コンテンポラリー・キーボード』誌が載せたアメリカのエレクトロニック・ミュージック・スクールの名簿に見て以来だった。だが、彼の作品となると、実にもう15年も耳にしていない。既に、作曲活動からも縁が遠くなっているのだろうか。

現代音楽の最も網羅的な人名録、ジョン・ヴィントン編集の『ディクショナリー・オブ・コンテンポラリー・ミュージック』にも収録されていない、この1939年生まれの作曲家の名前は、しかし、ぽくだけでなく、一部のジャズ愛好家の記憶の中にも残っているはずだ。それは日本でも何度か発売されたことのある、ドン・チェリーとのデュオ・アルパム『ヒューマン・ミュージック』(フライング・ダッチマン)によってである。

1970年に録音されたこのアルパムは、シンセサイザーとジャズ・ミュージシャンの即興的なデュオ・インタープレイとして、エリオット・シャープとマリオン・プラウン、リチャード・タイテルパウムとアンソニー・ブラクストンの共演盤などに先立ち、最も初期のものだった。自己のメイン楽器トランペットは使わずに、民族楽器のさまざまな笛、パーカッション、コルネットなどを演奏するドン・チェリーに絡むジョンのシンセサイザーの音は、アクースティック/エレクトロニックの違和を殆ど感じさせないほど繊細なもので、空間が巧みに生かされたトーン・ポエムを構成していた。

けっこう評価が高かったにもかかわらず "ヒューマン・ミュージック" というタイトルが喚ぴ超こす固定観念に実直に呼応してしまっている柔和なこのアルバムは、だが(少なくとも)当時ジョン・アップルトンが追求していた音楽世界を、そのまま表現していたとは思えない。

とりわけ、彼が前年に発表したアルパム、そしておそらく今日に至るまで彼唯一の作品である『アップルトン・シントニック・メナジュリー』(フライング・ダッチマン)を聞いた耳からすると、彼の本領は『ヒューマン・ミュージック』とは別のところにあるように思えてならない。

『ヒューマン・ミュージック』の中でも、アップルトンはシンセサイザー(たぷんモーグのモデュラー・ツステム)を,単にライヴエレクトロニクスの機器、音色のヴァリ工ーションが豊富なキーボードとして使ってはいない。あらかじめ録音したテープも使われていれば、ヴォイスをシンセサイザー・モデュールに通して変形させたり、録音後のテープ操作や編集にも手を染めていて、その場で演奏されたままの録音という、即興音楽にありがちな黄金律を守っているわけではない。しかし、『シントニック・メナジュリー』(共振する見世物小屋、といった意味だろうか)では、それらの操作こそが、作曲法というか音楽製造法の主要な手段になっていて、『ヒューマン・ミュージツク』ではドン・チェリーに気を遣ったのか、それに比ぺてきわめて控えめなのだ。

『シントニック・メナジュリー』のアルバム劈頭を飾るのはその名も「シェデーガル」(傑作)。なんとここでの主要な音素材は、アンドリュー・シスターズのジャズコーラスが便われている。リズムが抜粋されたり、テープループで一フレーズが反復されたり、フィルターをかけてノイズ的に歪ませたり、昨今のスクラッチングにも通じる音づくりだ。既成の音楽の利用という点では、「ニッケルハルパン」でプルーグラスのフィドルが変形の素材に用いられていたり「ニューアーク・エアポート・口ック」では、ウォーキングベースとドラムが、おそらく既成曲から抽出して使われている。「タイムズ・スクエアーテン」では、仏教寺院の読経の声から、なんとエジソンの発明した管レコードに録音された1900年代初頭のポピュラー・ソングまで飛ぴ出してくる。

このアルバムで注目を惹くもう一つの素材は、人声だ。赤ん坊の声を処理してつくられた曲「インファンタジー」(幼児幻想)から、空港でエレクト口・ミュージックについてのインタヴューに答える乗客の声「二ューアーク・エアポート……」、地下鉄の乗客のざわめきや短波無線から取られた女性の声「タイムズ・スクエア……」など、時にユーモラスに、時に幻想味を帯ぴて聞こえてくる。中には「スパイトン・ダイヴル」のように純電子音による作品もあるものの、ジョン・アップルトンの採る方法の特徴は、いわばテープ・コラージュのような、現実音や既成音楽と人工合成音のモザイク模様なのだ。

ピェール・シェフェールらのミュージーク・コンクレートとの類縁性も感じられるけれども、アクースティックな環境音のみを索材に音楽的な構造をつくり出していくフランス人たちとは決定的に異なって、構成原理はパッチワークのようにブリコラージュ的だ。(この点はアメリカの工レクトロニクス音楽/テープ音楽の伝統に関わる間題なので、次号でまた取り上げよう)

このアルバムのライナー・ノウツはナット・ヘントフが書いている。正直なところぼくは、ヘントフのデモクラット的良心的啓蒙的口吻が鎌いだが、それはともかく、ここではアップルトンが音楽誌に書いたいくつかのエッセイが引用されている。それによると彼は、現在人々が音楽に接する主要な手段は、既にコソサートホールではなく、各種のレコーディングによるのだ、という認識を持っている。いったんレコーディングされたものとして音楽を聞くならぱ、そこには既成の楽器によって鳴らされた音だろうと、電子音だろうと、何の優劣もないことになる。さらに電予的音響においては、クラシック音楽だとか口ックとかジャズとか、あるいは非西欧世界の音楽だろうと、あらかじめ従わなければならない音楽システムに縛られることはなくなる。だから、われわれは"地球村"にいるのだ、ということになる。

この電子メディアを通じて、音楽は記号論的に把えられるようになる、という現状認識がジョン・アップルトンの方法の基底となっていることは、もう明らかだろう。しかし、この15年、彼が目立った作品を発表していないことは、この現状把握を最もよく利用してきたものが、一個の音楽家にはなく音楽産業そのものであった、ということの証左ではないだろうか。

がらりと話は変わって、モダン・ホラー旗手スティーヴン・キングの最新炸は『スケルトン・クルー』という題だ。内容はまだ読んでないが、フレツド・フリス、トム・コラたちのスケルトン・クルーは、ハープ/アコーデーオン奏者のジーナ・パーキンスを加えて、今年末に再来日する。こちらも新曲の内容はまだ不明。


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