山岸信郎(まき・しのぶ)文集
仁王立ち倶楽部1985−1989

現代美術澪つくし1 −ステラークについて−(1985年8月)
現代美術濡つくし2 ブランクーシーは上半身文化を冷やかしたのかもネ?(1985年9月)
現代美術澪つくし3 革命の幻想が潰えた時にラディカリストたちは観念芸術へ走り始めたんだ!
(1985年10月)
現代美術澪つくし4 70頃は楽天的宇宙主義と土、石、木を素材とした概念芸術が同居してた(1985年11月)
現代美術澪つくし5 70年代現代美術には進行する管理社会への抵抗と批判が作用していた(1985年12月)
現代美術澪つくし6 キッチュな表現がダイレクトに時代を撃つ時 蔦木栄一君について
(1986年1月)
現代美術澪つくし7 吉永裕氏への手紙--作品をめぐって--
(1986年3月)
現代美術澪つくし8 
日陰の美術家二、三(1986年4月)
現代美術澪つくし9 忙しや!美術
(1986年5月)
現代美術澪つくし10 「みなおし」の時代
(1986年6月)
現代美術澪つくし11 
にっぽん現代美術「大和」考(1986年8月)
現代美術澪つくし12 ハイ・センスとハイ・カルチャー
(1986年12月)
現代美術澪つくし13 「分極化する表現世界の中で」一つの意見
(1987年4月)
現代美術澪つくし14 
台北「SPIRITUAL 2177」展始末記(1998年5月)
現代美術澪つくし15 KAZUKO HOUKIのこと
(1989年2月)


写真は山岸さん(左)と中本誠司さん
http://www.seishi-nakamoto.com/museum/nakamoto/message/each/02.html
より


山岸信郎さんは2008年11月4日逝去されました。
山岸さんは1960年代後半に神田で田村画廊(貸し画廊。真木、駒井画廊も)を開き、後に「もの派」と呼ばれる作家たちに活動の場を提供しました。 
70年代には川俣正さん等が個展をし、80年代には日本New waveと呼ばれる人たちが個展をしました(吉澤美香、藏重範子さん等)。 
また、多くの作家、評論家となる人々を画廊番として雇いました(桑原正彦、北沢憲昭さん等)。 
1990年代後半には画廊を閉め、韓国の大学で現代美術を教える一方、評論活動を行っていました。

荒井真一


★ARAIart.jp



(from 7 Dec. 2008)