荒井真一 

東野さん世界中を掩っている不安って何ですか?
仁王立ち倶楽部014(1986年12月発売)

 「それに、現在の日本は世界中をたしかに掩っている“不安”を分けもっているだろうか。世界の矛盾や亀裂から切り離され、いや、それにそっぽをむいて、つるつるしたカプセルの中で、ただひとり、生ぬるく平和で清潔な時間をむさぼっているこの国では、心に“不安”をもつのにすら、大きな努力がいるね。ぼくらは、こんなことを夜食を食べながら話しこんだ。」(東野芳明『来日作家評判記』美術手帖86年7月号)

 これは、美術評論家である東野がナムジュン・パイクとかわした会話らしいが日本に住んでいないパイクはともかく、日本に住んでいる東野が何故こう言えるのか理解に苦しむ。どういう風に考えても、ぼくには、“不安”を持つのにも大きな努力のいる国に住んでいるとは思えないのだ。そして、ぼくは、この国を一歩も出たことはないので、世界中を掩っている“不安”は知らないし、いわんやそれを分けもっているかなど知らないが、ぼくだって不安で不安でしょうがないし、ぼくのまわりは大体そうだとは言える。ぼくなど、言いたかないけど借金だらけだ。個展をやれば50万は飛んでいくし、こういうのを出せるのは働いてなくて時間があるからだし、実際いろいろの人が支払いを待ってくれていなければ夜逃げでもしているだろう。そして、働いていないのは、選んでそうしているのじゃない。不定期の仕事はなかなかないのだ。そして、美術なんてやるからには、最初から計画でもしっかり立てとかないかぎりサラリーマンは無理なのだ。ぼくだって、美術にかじりついているうちに27だ。これから、どんな会社が雇ってくれるというのか? 何の取り柄もないこのぼくを。だから、将来のことを考えると頭が痛いし、それよりもどうやって借金を返そうかと考えるほうが、何も手につかなくなるくらい不安だ。

 そう、たかが金のことだ。世界を掩っている不安にはそっぽをむけているのかもしれない。だけど、不安っていうのはこういう気分だと思う。こういう些細な不安を感じてなきゃ、世界もくそもないだろう。しかし、東野の言い方は先ず普遍的不安が存在するかのようだ。だが、実はそれこそが勘違いなのであって、東野自身に“不安”が存在しないので不安とは何か分からなくなっているのだ。世界を掩っているのは不安ではなく不安によって到達される危機感なのだ。些細な、個的な、不安を突き詰めていく時初めてぼくらは世界と出会えるのではないか?

 ぼくは言葉遊びをしているのではない。はっきり言えば、東野は自分自身不安を感じてはいないのだから、世界を掩っている“不安”などというレトリックをつかって、自分自身感じてもいない危機感を振り回すなと、言いたいだけだ。どんなに、東野が世界中を飛び回っていても自身に不安が感んじられない以上、『世界の矛盾や亀裂』も見世物でしかないだろう。回りくどい言い方をしたが、ぼくは自分が係っている現代美術というフィールドで高名な評論家がこういう事実認識をもっているのに腹がたったのだ。東野の発言には明らかに日本人は馬鹿だというニュアンスが感じられるが(実際は、東野のような連中がそうなのだが)東野が美術評論家として活動している以上、それは美術のフィールドから感じ、そこへ向けて発せられたと考えていいわけで、つまり日本の作家を馬鹿にしているわけだ。それも『美術手帖』という、業界誌で堂々となのだから恐れいる。生憎、東野はぼくの展覧会も作品も、見に来たことはないのだが、冗談じゃないよそんなことを言っている暇があるんだったら、ぼくの作品を見に来いと言いたくなってしまう。

 閑話休題。一方で、やはり高名な美術評論家の藤枝晃雄はその著書『現代美術の展開』の新装版で、福島敬恭についての一文を削除している。ただし、あとがきにはそのことについて触れている。ぼくは、旧版しか持ってないので立ち読みでうろ覚えだが評論家として現在の福島の動向に、ついていけないので削除したと書いていたように思う。福島の作品はここ数年の間に、急激に変わり、ぼくも藤枝の著書で見た写真との違いに驚いたものだ。そして、それが藤枝が評価出来かねる類のものだというのもわかった。しかし、新装版で削除というのには驚いた。

 何故ならば、ぼくは藤枝の著書から彼が、日本の美術評論家は作品を見ずに評論する輩ばかりだが、自分は作品に即して評論するのだという声を聞いていたし、彼のその後の発言にもそれは一貫して感じていたからだ。藤枝について作品主義者という印象を持っていたのは、ぼくだけではないだろう。たとえば、ニューペインティングの情報が人々の知るところになっても、東野芳明が好意的に取りあげた以外は沈黙を守っていたのに(肯定すれば自己否定、否定すれば時代遅れというジレンマ)藤枝だけは、はっきりと否定し、その否定の論拠も美術のコンテキストにそったものだった。ぼくは、その論拠も彼のアカデミックなもの言いも嫌いだったが、とにかく筋は通っていると思っていた。

 しかるに、削除とは。一時にしろ、藤枝は福島の作品を評価したのではないか、その時の作品は現在の作品によって変質させられてしまうのか? 作家の現在で過去の作品は変わるのか? ともかく、旧版の時点で藤枝が福島の作品について書いた事は何であり、それを読んだ者は一体何だったのだろうか。ある人が言ったように、全集でない以上、そしてあと書きで断ってある以上、ありうることなのかもしれない。そして、ぼくが藤枝に過度の信頼を置いていたのかもしれない。

 しかし、この問題は本当は美術評論と美術の癒着を表わしているのではないのか? 藤枝が如何にアカデミックを気取り美術評論の自立を作品批評という護符で守ってみたところで、他の連中と五十歩百歩、お里が知れたということなのではないのか。

 ぼくは、東野と藤枝の間に現在日本のほとんどの美術評論家を配置できるのでないかと思う。そして日本の美術評論なんてこの程度のものではないのかと思った。こういう話を若手の美術評論家に幾分アグレッシブに(単に酒を飲んでいただけだが)言うと、ぼくが美術評論に幻想を持っているのだ、期待のしすぎだ、なぜ東野が美術家を馬鹿にしていると感じるのか分からない、少し敏感になりすぎているのでないか、そして藤枝についてはあとがきで断ったこと、削除したことの両方を評価したいとまで言うのだった。この発言の志の低さは一体なんだ。確かに、ぼくは他の作家より評論家の存在を大きく考えている節がある。それは、周りに現代美術をやっている友人が少なく、ともかく本を読んで、すこしでも現代美術に近ずこうとした時の後遺症かもしれない。しかし、自分等を信頼するなという馬鹿はここにしかいないだろう。

 ぼくなどは、発想が文科系だからどうしても文学評論と美術評論を比較したくなる。前者は対象を、時代、作家、そしてそこに書いて有ること、書いては無いが読めること、というパラメーターをもって読んでいく。そしてそれを自らも書くことによって自分の『読み』を表現として提出していく。それは、研究と単なる文章の尾根を歩いていく行為だと思う。

 そのどちらに転落してもかまわないのに、尾根を歩くのは対象とする作品が彼を引っ張っているからだ。読むほうも、対象とされている作品と、今読んでいる評論の緊張感の中に立たされ、砕氷船が、まえに進む気分を味わう。しかるに、美術評論では、その尾根が感じられない。評論というのが、おこがましいのではないか? いるのは、研究者づらと、単なる作文家だけではないのか、或いは作品及び作家レポーターといったところか。ぼくが、こう言ったところで、世の美術評論家連中は美術と文学を並べて論ずる事ができるのかとか、業界の大きさが違うとか、そこまで言うのだったら君がやればいいじゃないかと言うのだろうな。

 そして実の所ぼくも美術評論のもう一つ姿というのを提示できるわけでもないのだ。それは、自分の作品をどうやったら、ぼんやりと感じている自分の作品に出来るのかというのと同じだ。しかし、ぼくはともかく借金してだって、作品を作りたいし、そうしないことには生きている実感がないのだ。結構せっぱつまっている。だから、もっと美術評論も真面目にやれと言いたいだけだ。書くところが無いのだったら、ぼくらが画廊を借りるみたいに自分で作ればいいし、いい作品を見るために、自腹を切って世界中を日本中を動きまわれば、書くものだって少しは真剣なものになるだろう。

 否定的なことばかり書いたが、最近もう一つの美術評論というべき本に出会った。中村信夫『少年アート---ぼく体当り現代美術---』(弓立社刊1800円)がそれだ。この本には、ヨーロッパの美術評論家がどういう仕事をしているかが出ている。それは、ぼくの考えているものと違い、はっきり言って癒着の極致というべきものだ。しかし、そこには作家と評論家の協同が見られるし、どんな事をやっていても、美術評論家でいられるわけでない。自分が推した作家が評価されなければ、彼も消えるし、彼の作家の推し方自体が問われる。つまり、美術評論はやはり表現なのだ。この点はぼくの考えているものに近い。

 さて、なぜこの本自体がもう一つの美術評論かといえば、ここには中村の体験談という形をとった彼の批評精神が読めるからである。確かにこの本は個々の作家を、作品をじっくり評論するというよりは、紹介、あるいはレポートする風なのだが、そこにすでに彼の判断がはっきりとでているし、簡潔な言葉で日本の現代美術への提言が述べてある。中村は1950生れで71〜82の間イギリスに居たのだが、東野のようにあちら側から日本をとやかくいう視線はない。彼には日本もヨーロッパもなく只、彼の美術への愛があるだけだ。だから、さりげなくこうだといいねという提言があり、それが事実に裏づけられており深いものとなっている。多分、彼のような人によって、もう一つの美術評論は形成されていくのだと思う。彼のこれからの動きに注目していきたいと思う。



荒井真一

淋しい夜の向こう側
仁王立ち倶楽部016(1988年5月発売)

・・・・しかしながら、彼らの運命の夜の中 で身体を合わせる二人の恋人同士の、一 見たよりにならぬ外観は、劇や書物の生 む幻覚と同質のものではない。なぜな ら、劇や文学は、それだけでは「存在が たがいに相手を見出す一つの世界」を創 造することができないからである。芸術 によって表現された最も痛切なビジョン といえども、それによって感動させられ た人々の間につかの間のつながり一つさえ決して創り出しはしなかった。もし、 その人々が出会っても、彼らは、自分の 実感したことを、心から心へ伝わり得え る反応の代わりに比較と分析を用いる文句によって表現することで満足せねばならない。(G・バタイユ「魔法使いの弟子」入沢康夫訳より)

 ふられた女に、しつこく言寄る男は、 悲惨だ。まるでそんな気持ちになる電話を、長々とした。どうして仁王立ちに書いてくれないのですか? 今までのようにお願いしますよ。彼(彼女)の言っている辞退の理由はちゃんと理解できるのだけど自分の気持ちが収まらないのだ。電話のまえで沈黙するだけだ。沈黙したところで、なにも始まらない。フラフラ になって近くの本屋に入って、気分を鎮める。疲れていた。久し振りにあった知人、その事務所で偶然あった年上の知人、多分ぼくだけが一方的に感じていた 違和感に圧倒されたあとだったこともある。三鷹に向かう東西線にはまだ午後8時 ということもあり、まばらに勤め人の男女が座っている。彼らとぼくはどう繋っているのだろうか? 向かいの人に話しかけたくなる。何か楽しいことはありますか? 愚問。しかし、こうして今同じ空間、時間に居るのに何一つ話が出来ないように思えてならない。共通の話題。韓国の総選挙のこと、アダルトビデオの監督の逮捕のこと。けど、本当のことを言えばそれらについて何を知っているというのか。自分がそれについて知らないということを話題にできるだけではないか?

 小林多喜二についてのパフォーマンス をやろうと思ったきっかけは最近読んだ、『党生活者』だ。多喜二といえば左翼の英雄と思うが、初めて読んだそれは、ひどいものだった。主人公たちは必死にままごとの党員を生きているのだった。多喜二の生と小説に描かれた生が一緒だとは思わないが、まるっきり絵空事というわけでもないだろう。リアリティーがないのだ。なぜ彼らが政治活動をするのか分からないのだ。それは、河上肇の『自叙伝』を読んだときにも感じた。なぜ? と問えば、〜のためという答えが戻ってくるに違いない。しかし、多喜二の小説にしろ河上の自叙伝にしろ、その当の〜がとても陳腐に描かれて いるに過ぎない。例えば多喜二の『蟹工船』の前半部と後半部の乗組員の描写の違いに端的に出ている。後半部はとても 陳腐だ。そこでは、乗組員がステロタイプ化あるいは理想化され、のっぺりとし、何かほかの力に操られている(つまり多喜二に)ような感じになってしまい、猥雑な乗組員のパワーが感じられなくなってしまうのだ。しかし、この作品 は主人公がプロレタリアートだからいいものの、『党生活者』では、主人公は非合法の党員だから、彼らが相手にしている繊維工場の女工や、彼らを援助している女性などはほとんどなげやりに近い書かれ方だ。

 先日、映画『ロックよ静かに流れよ』を観た。4人の少年たちの間には濃密に共有された時間と空間があった。彼らはそれを日常的に生きていた。映画館という非日常的空間でなければ、それは絵空事か、見えにくい現実だったろう。彼らに対する羨望は、だから一方で見えにくい現実を想起させた。確かにかつてぼくも、彼らのように友人と生きていたのだ。でも今だってやはりそうなのかもしれない。それは、ただ見えにくいだけなのかもしれない。そう思ったのだ。だからこそ、映画館の外に出るときの白々しさがなかったのだ。

有楽町駅のガード下で、お酒を飲みながら友人が五メートル四方のカウンターに座る勤め人たちの背広の色を観察して、「青、グレー、茶色がかたまって飲んでいる」のに気づいた。それから、皇居の堀端を国会議事堂へと歩いた。それはすっぽりとコンドームをかぶっていた。「あれを取ったからって、何か産まれるってこともないよね」。三宅坂を下って、ホテルニュージャパンの裏を通り、赤坂見附に出れば、そこはいつもの東京だ。終電一つ前の丸の内線も、新宿を過ぎれば、少しは息もできる。地下鉄の蛍光灯の下で彼は、とても綺麗だ。

真っ暗な部屋のまん中に友人が突っ立ている。上半身裸でスカートのようなものをはいて。天井から一筋の光りが彼を刺すように包む。来るぞと思った。無表情の眼でThrobbing Gristleの『Heathen Earth(異教の地)』そのままに、彼は打ちっぱなしのコンクリートの壁の向こう側からいつ の間にか現われ、気づけばずっとそこに居たように居る。しかも、1ミリぐらいずつこっちに近付いてさえいるのだ。十分に近付いたところで彼は、時間を取って斜めに移動していく、その姿をぼくは忘れられない。時間が横滑りしていくようだった。そのとき見せた彼の横顔はとても綺麗だった。

彼が踊っていた、そのちょうど2年前、所沢の西武球場前の県道沿いのアパートの二階で首を吊って死んだ友人も、

そうやって時間を永遠に横滑りさせたのか? 棺に入った彼は、生きているときよりも綺麗だった。僕は初めてキスを し、舌を入れようとした。しかしカチンカチンの冷たい唇はぼくを拒むのだった。無理矢理に口を開けるとそこには、 肉屋のショーケースの端にときどき見かける牛タンがあった。その夜も、あの夜も、彼の好きな安ブランディーをガバガバ飲んだ。そこら中記念日だらけだが、ぼくにだって一つぐらいあったっていいだろう。池袋の穴ぐらで酔わなかった罪滅ぼしだから。今日は君のために、彼が踊ったようなものだ。その夜もあの夜も、ぼくらは濃密な時間と場所を共有したはずだ。センチメンタルになっちゃおしまいだけど。

多喜二はなぜこういう気持ちを小説のなかに表現できなかったのか? こういう言い方は唐突すぎるか。多喜二はそういう作家ではないんだと誰かは言うだろう。そのとおりだ、彼はプロレタリア文学者だ。しかし、彼の描いたプロレタリアートというのは一体なんだったのか。『党生活者』の党員と女工や女援助者とのギャップ、『蟹工船』の乗組員の描き方の変わり方。彼(彼ら)が発見したプロレタリアートとは何だったのか。彼らは、意識的には初めて芸術に社会を持ち込んだはずだ。しかもこの国ではそれが 試みとしても最初で最後だった。しかし、その試みはプロレタリアートとの間に濃密な時間と、空間を共有できなかっ た。それが残念なのだ。だから、ぼくは多喜二についてのパフォーマンスをやろうと思ったのだ。歴史のなかに突出している多喜二たちの仕事は、宙ぶらりんのままだ。しかし、それは、そのまま何かの出発点として機能している。何か? 独断を承知で言えば左翼の行動形態という事だ。多喜二の作品に隠された意味を、パフォーマンスという形で解釈し提示しそして、多喜二を生きてみたくなったのだ。ぼくは評論家ではない、だからこういう形態を取ったのだ。

  口に耳掛け型のイヤホーンをくわえ(アンプに接続、マイクとして機能)多喜二の小説の一節を朗読し、そのページを破り、口に入れる。ここで観客は笑う。大体朗読も朗読というより単語をともなった叫びに近い。それを繰り返すと口のなかは多喜二でいっぱいとなり、朗読はただの嗚咽にと変わる。それでも多喜二を食べ続ける。体をブルブル震えさせ、嗚咽は多喜二と胃のなかのものを、 もろともに吐き出そうとする力に痙攣する。マイクはその音をノイズ混じりに拾う。観客は訳も分からず爆笑している。苦しい。全てを吐き出したいが胃を縮めるようにして我慢し、波が通りすぎるのを待つ。目からは、涙がにじみ出てくる。また食べ始める。眼鏡と目の間に多喜二を入れる。耳に多喜二を入れ、四つんばいになって、情けなくのたうちまわる。頭のなかも口のなかも耳も目も多喜二でいっぱいだ。もう何もできない。からっぽだ。頭を床にぶっつけ続ける。パラシュートを作る女工、蟹工船の出だしが頭のなかで渦巻く。観客の笑い。

 多喜二についてのパフォーマンスは、2回行ない、今度は『現場の力』というユニットで4人のパフォーマーによって展開される。ぼくらはコーネリアス・カーデューと水牛楽団、A-Musik の違いについて語り、オルタナティブ・TVのマーク・ペリー、谷川まりの歌について論

じた。そういった、テーマがバラバラのミーティングからそれぞれが多喜二のパフォーマンスを作りあげていくのだ。歌の力強さについて、叫びの強度について。未だ誰にも歌われていない歌の、発生する場処に自分を置き続けること。簡単な構造で豊かな力強い場を現出させること。そして濃密な時間と空間を奇跡のように作り出すこと。ぼく(ぼくら)の生活、社会との繋りを重層的な夢のように展開すること。そこの場処自体を生きること(ライブ)。多喜二を引き受けること。

なにも解決されないままに時間は進みすぎてきた。バタイユがほのめかしている共同体、男闘呼組の映画を流れる時間と空間、呑み屋や電車で会う勤め人たちとの距離、多喜二が突出したままの歴史、友人たちとの間のかそけき安らかさ。何もかもがグルグルになって、しかし解決とは程遠い思いがけない形で、全ては解決していかなければならない。

 隣の部屋で、田中トシが三枝由起夫のつくった『蟹工船』のテーマに歌を付けようともがいている・・・・そのような形 で?


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