小東亜共栄軒08
2008年5月3日
名古屋

陳進(チェンジン/中国)

©JIGUAI

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陳進(チェンジン/中国)


1964年生。男性。2000年に舒陽、朱冥と中国初の国際パフォーマンスアートフェスティバル「OPEN Art Festival」を開催。以後毎年継続、07年には8回目を迎える。01年フィンランド「EXIT」フェスティバル参加。3mの高さから中国の現主席のポートレイトに小便をかけ、その後そこから飛び降りるというセンセーショナルな作品を発表。02年NIPAF(Nippon International Performance Art Festival )参加。07年カッセル「ドクメンタ」のアイ・ウェイウェイ作品に参加。07年北京798アートスペース*で非商業的アートスペース「OPEN REALIZATION CONTEMPORARY ART CENTER」を始める。

*北京798アートスペース(798は地番)は、今やニューヨークのソーホーよりも面白く、お金が動いていると言われる画廊街である。2000年ごろほぼ20年ぶりに北京に帰ることができた黄鋭が、旧国営工場の一角にスタジオを構えたのがそのきっかけ。旧国営工場は50年代に建国記念として東独政府が建設したバウハウススタイルの建物群からなっている。国営工場がつぶれ、安くバラ貸しを始めたのを機に黄鋭がスタジオとして借り、内部をリフォームした。黄鋭の働きかけにより、徐々にアーティストのスタジオ、現代美術の画廊(たとえば東京画廊など)、レストランなどが移ってくる(天井が高く、サンルーフからの自然光はほかでは特に得がたい)。そして、彼はそれらの友人たちと共同で798を運営していった。しかし、近年大手のデベロッパーがこの区画全体の権利を手に入れたため、家賃が高騰し、建築群の改造等が何のプランもなしに行われ、以前からの住人の運営が無視されるようになった。黄鋭は1978年、北島、芒克ら文学者と「今天」という伝説的総合芸術雑誌を創刊。それを母体に先鋭的なパフォーマンス、朗読会、展覧会等を行う。それは文革(そして革命)以後初めてのアバンギャルド活動であった。しかし、80年初頭弾圧され多くの同人は外国に逃がれた(黄鋭は日本へ)。89年の6/4(天安門事件)以降は日本のパスポートを持った黄鋭でも帰国が難しかった。


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